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2007年09月15日(土) 16時14分

安倍総理こそわが民度ツカサネット新聞

前代未聞の「敵前逃亡辞任」劇から4日。一国の総理が「私がいないほうがうまくいく」と、失恋した後の負け惜しみのような理由で政権から去った衝撃は早くも忘れられ、国民の関心は後継者争いへと移った。その後継者であるが、どうやら福田氏の圧倒的優勢は揺ぎないものとなりつつある。

総理による「職場放棄」から現実味を帯びてきた「解散総選挙」に向けて、「調整型」政治家の福田氏の登板は自民党の派閥を横断的に取り込み、挙党体制の様相である。だが、そこには政治家自身の「保身」ばかりが先に立ち、難題山積の国家政策に関する論争は聞こえてこない。毎度のことではあるが、国民を置き去りにして「次の選挙」と「ポスト」ばかりを気にしている政治屋がぞろぞろと活動を始める様は、なにやら小箱に押し込められたムカデやらミミズやらが蠢いているようで不快極まりない。せめて、これからの総裁選挙で行われる方針演説で実のある政策論争に期待したい。

しかしながら、彼らに権威を与え、私たちの代表として国会に送り出すのは、ほかならぬ私たち国民であるということも忘れてはならない。先の総理である小泉氏の「構造改革路線」、つまり「小さな政府」型政策に絶大なる支持を与えたのも、その政策を継承すると言った安倍総理に70%超といった支持率で翼を与えたのも我々国民である。

イギリスのサッチャー元首相も、財政再建のため「小さな政府」型の政策を断行し、一定の成果をあげた。しかし、それは「格差社会」を同時に引き起こし、結局は失脚、政権交代となった。

私たちもムードにとらわれることなく、過去から学び、そして国家の行く末をそれぞれが考えて、主体的に政治にかかわっていく必要があるように思われる。「反省すべきは反省」してしっかりと政治に向き合わないと、民主主義は成熟しないのではないだろうか。

前言を平気で翻し、政権すら自己本位に投げ出す政治家を総理としなければならないのは国民の不幸ではあるが、そういった政治家を歓喜を持って迎えた私たちの責任も軽からざるものがあるように思う。一国を担うに足る政治家をしっかりと教育していくのも、私たち国民の義務ではないだろうか。

政治家の「自分さえよければ…」という姿は、そのまま私たち国民の姿である。こんな国民だから、あんな政治家。それではあまりにも悲しい。

(記者:山田まこと)

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