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2007年09月05日(水) 17時39分

韓国キリスト教会の常識ハズレ──人質事件の真相オーマイニュース

 7月19日にアフガニスタン(アフガン)で拉致された韓国人人質19人(23人中2人死亡、事前に2人釈放)が9月2日、韓国へ無事帰国したものの、彼らをめぐる議論はまだ終わりそうもない。

 いわゆる「自己責任論」はもちろんのこと、テロリストとの直接交渉を敢行してしまった韓国政府の対する懸念の声、韓国キリスト教会の排除的・攻撃的な布教論、そしてタリバンへの憎しみなどが複合的に作用し、この議論はしばらくの間、韓国社会を揺るがしていくに違いない。

 まず「自己責任論」が世論の大半を占めることとなったのは、人質らが拉致されて1週間が過ぎ、7月27日に1人目の犠牲者が出てからである。

 当時、韓国政府は「自国民がテロリストに拉致されているのに、すべてをアフガン政府に任せている」との批判に直面していた最中であった。そして、韓国政府は事態の深刻性を感じてか、外交安保分野の3トップの1人であるペック・ジョンチョンタ外交安保室長をアフガンに急派することにした。

 しかし、この過程で、アフガンに行った23人が韓国外務省の「危険地域への旅行などに関する勧告」(2004年1月)を無視して第三国を経由して無理やりアフガンに入国したこと、ガズニ地区がタリバン勢力が急激に伸びている地域であったにも関わらず、「飛行機の時間が間に合わない」との理由で、バスで移動したこと──などの全貌が明らかになった。

 これらの事実が公表されることにつれ、世論は逆転した。

 また、23人がアフガンに行った理由が純粋なボランティア活動ではなく、「キリスト教の布教」を目的とした“夏休みの教会活動”だったことが複数の教会関係者の口からこぼれはじめた。

 さらに、2人目の犠牲者の家族が「うちの息子はセムムル(泉の水)教会信徒でもなんでもない。教会が募集をして軽い思いで行っただけなのに、教会側の安易な考えによって犠牲となった」と明かし、自己責任論も含めて韓国キリスト教会の布教活動への批判もエスカレートしていく始末になった。

 宗教問題に詳しいジャーナリストのキム某氏に電話したところ、この件について呆れた口調で語った。

 「韓国キリスト教会の布教活動は凡人の常識を超えている。相手が仏教信徒でもムスリムでもお構いなし。国内でも海外でも、彼らには関係ないんだ。とにかく声をかけていやだといってもしつこく説得に挑む。そして、それが皆の真理であることを確信している。眼中になにもないんだ。イエスキリスト以外には」

 念のため、断っておくと、ここで言う韓国キリスト教会は、すべて「改新教=プロテスタント」を意味する。16世紀、ドイツから起きた「宗教改革」以後、19世紀に全世界に広がったプロテスタントは、ローマ・カトリック、東方聖教会と共にキリスト3大政派とも言われている。

 基本的に聖書を元にして信仰心を煽ることに変わりないが、前述のキム氏も話したように、「改新教」は異常ともいえるほど「布教第一主義」に走っている。

 それを端的に見せているのが、19人の釈放が確認された8月30日にソウルであった韓国キリスト教総連合会(韓キ総)の声明だ。韓キ総は、この場でこう断言したのだ。

 「これからはさらに積極的な布教活動を行うつもり。300人で無理だったら、殉教も覚悟した上で3000人がいく」

 23人を募集し送りつけたセムムル教会の担任牧師パク・ウゾ氏は「ボランティア活動もあり、布教活動もある。イエスキリストの名の元で行われる宣教活動はすべて奉仕活動であり、要するにボランティア活動だ」と発言した。

 拉致被害者の1人であるイム・ヒョンジュ氏が卒業したデグ科学大学校は帰国した人質らを招いて大々的な歓迎イベントを開き、ある講義室の名前を「イム・ヒョンジュ講義室」にすると発表し、世間の顰蹙(ひんしゅく)を買った。

 しかし一番問題なのは、このような常識ではありえない行動に対して、マスコミやネットユーザーが批判することについて、彼らは、「何かの陰謀がある」、「キリスト教をうらんでいる組織がある」などと普通に発言してしまうことだ。つまり、今回の事件を経験しても、彼らはまったく「問題意識」を持っていないことになるのだ。

 ここまで来ると、どうしても考えてしまうのが、国と国民の関係だ。要するに「国はどこまで国民を保護するばいいのか」のことである。純粋なボランティア活動でもない、さらに政府の勧告や説明などをまったく無視し、帰ってきてからは、被害者たちの口からではないが、当事者とも言える人たちから、上記のような「空気を読んでない」発言が飛び出している。

 生きて帰ってこれたのは、よかった。しかし、韓国政府は明らかにしていないものの、なんらかの代価を支払ったことは確かだ。

 いくつかの外国通信社は、2億円〜50億円の身代金が支払われたと報じている。これらの報道について韓国政府は「身代金は払っていない」と主張している。しかし、身代金は払わなくても「学校などの施設を建てることにした」と告白した。

 要するに19人の「国民」を救出しなければならない「国家」としての「義務」のせいで、更なる危険を拡大させてしまったのである。タリバン側がこの勝利を見て、「ありがとうございます。もう拉致なんかしません」と出る可能性はゼロだ。

 すでにタリバンのスポークスマンは、「韓国政府はすべての民間人撤収の約束を破った。アフガンに残っている韓国人と大使館などを攻撃する」(韓国通信社・聯合ニュース、9月3日)という強硬姿勢を見せている。

 もう一度言う。19人が無事に帰ってきたのは、よかった。しかし、これからも増えるだろうと誰でも想像がつく武装勢力の人質事件に、「改新教」の関係者たちはどのような責任を取れるのか。

 そして、韓国政府は「国民を守らなければならない」という義務を果たすため行った行為が火だねとなり、更なる人質事件が起きてもすべて今回のような、国際社会の非難を受けながらも同じ対応を取るのか?

 韓キ総は、3000人を送ると自ら言っている。もちろん今は出来ないだろう。しかし、韓国「改新教」の特性上、このような布教活動はいずれ出てくるはずだ。その時のガイドラインを作らなければならない。

 記者の主張が人道的な観点からみると批判されるところがあるかもしれない。タリバンによるレイプなどのウワサも報道される19人に対する配慮が足りないかもしれない。しかし、いくら話しても通じない人たちが、今ここに存在しているわけである。

 様々な意味で、韓国社会は転換期に置かれているかもしれない。

(記者:朴 哲鉉)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070905-00000003-omn-kr