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2007年09月01日(土) 17時06分

【記者が読む】地方の疲労 “老老”社会、確実に崩壊産経新聞

 ささやかな親孝行のつもりで、夏休みは両親に孫の顔を見せるために帰省するのが、わが家の恒例行事なのだが、この夏はやや勝手が違った。96歳になる祖母が夏前に体調を崩し、実家でほぼ寝たきり状態になっていたのだ。

 「よくまあ長生きして…」。周りから見れば確かにそんな年なのだが、気がかりなのは、この祖母の面倒を見ているのが、筆者の82歳になる父と76歳の母なのである。

 実家のある山梨県北部の集落は典型的な過疎地で、若い人の姿はほとんど見かけない。「平成の大合併」で、都市部と一体化したため、全体の統計には現れにくいが、それでも4人に1人強が65歳以上の高齢者。しかも一世帯あたりの家族数は平均2・5人で、かつての田舎のような3世代、4世代家族が少なくなっていることがわかる。

 例えば、北陸や新潟を襲った地震でテレビに映った避難所の映像を思いだしてみてほしい。肩を寄せ合う被災者たちはいずれもお年寄りだった。「老老介護」ならぬ「老老救助」と言ってもいい。都会にあって「高齢化社会」という言葉は、ともすれば将来の年金問題などに特化されがちだが、地方では、あの避難所の光景が日常なのである。

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 「地方の疲労」は今夏の参院選の争点にもなり、自民党敗北の最大の原因ともいわれた。むろん政治の力は必要だろう。ただ、極端な高齢化社会では、そうした声をあげる気力さえないようだ。

 いばって言えた話ではないが、うちの実家あたりなど、かつて選挙といえば「祭り」であり、地元の選挙などはムラを二分するような熱気だった。それがここ数年、めっきり静かになったと聞く。

 背景には、古くからの自治組織が活力を失っていることがある。地域の年齢層が上がりすぎたため、老人会などは80歳を超えねば入れないほどで、青年団ですら中心は50歳以上。商店街もシャッター通りですらなく、ほとんどが空き家である。むろん組織が選挙運動に直結するとは言わないが、長く自民党政治を支えてきたのは、こうした地方の人たちだったのではないか。

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 「美しい日本」。安倍晋三首相がそう言って登場したとき、とっさにわが故郷の山河を思いだした。「いい言葉だな」とすら思った。ただ、現実はそれほど単純なものではなかった。山河はいくら美しくても、その足元の古き良き地域社会は確実に崩壊していたのである。

 と言って民主党の言うような「バラマキ農政」が有効とは思えないし、過去に道路や巨大ホールがいくら建設されても、何も変わらなかった。何より、そうやって地方を憂い、政治の責任を口にする自分自身が、すでに故郷を離れて20年以上経つというぬぐいきれない現実がある。地方を捨てた人間たちが、「地方の疲労」を指摘するという明らかな矛盾の中で、この国は回っている。

 ≪ふるさとの かの路傍(みちばた)の捨て石よ 今年も草に 埋もれしらむ≫

 上京後、一度も盛岡に帰れなかった石川啄木は、故郷のちっぽけな石にすら深い愛着を抱き、そんな歌を詠んだ。今や、「捨て石」という言葉が、地方に暮らす多くの人々とだぶってしまうと言ったら言い過ぎだろうか。

 筆者の故郷のような過疎地であっても、祖母の特別養護老人ホームへの入居は300人待ちだという。(社会部次長 皆川豪志)

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