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2007年08月30日(木) 16時47分

「株譲渡ルール」知って当初購入したかが争点──日経訴訟結審オーマイニュース

 日本経済新聞社(杉田亮毅社長)が社内の「株式取引ルール」に違反するとして、同社OBである株主同士の売買を認めなかったことに対して、売買の当事者が日経を相手に「株式譲渡の自由に反する」として訴えていた裁判が8月30日、東京地裁であった。原告・被告ともに論点を整理した書面を提出し、結審した。判決は10月25日。

 冒頭、裁判の進め方について、裁判長1人の単独審議から、合議に変更されたことが伝えられた。裁判長がこれまでの小川雅敏氏から、年長の難波孝一氏となり、難波、小川の両氏を含む計8人の合議で判断することになった。

 原告の日経OB側からは、これまでの論点を整理した準備書面が提出された。難波裁判長は、原告の山本堅太郎氏から、原告の和佐隆弘氏に株式を譲渡したことについて、

 「本件では、山本さんが(入社してまもなく)日経共栄会から株式を取得した時点で、『譲渡ルール』に合意していたかどうかが争点と理解している」

と述べた。

 一方、被告の会社側は、原告2人と杉田亮毅社長の直接会談の録音テープを証拠として提出した。両者は2度、直接会談しており、提出したのは2回目の録音。原告側から、

 「なぜ1回目の会談の録音テープは提出しないのか?」

との疑問が寄せられたが、被告側は、

 「(1回目の会談の録音テープを)一緒に提出するほど、密接なつながりがあるものではない。しかし、出すことはできるし、必要であれば出す。排除するものではない」

と答えた。

 この会談については、杉田社長が5月30日に、被告側証人として出廷し、証言した際に明らかにされていた。それによると、2005年9月に山本・和佐の両氏が、両者間で株式を売買したことを通知した際、杉田社長自ら「会おう」と呼びかけて、10月に実現したもの。杉田社長は5月30日、被告側弁護士に「どういう気持ちだったのか?」と聞かれ、

 「(株式が譲渡されたことは)晴天の霹靂だった。これまでも誰も破らなかったルールを破って取引したので、なにかの間違いだろうと思った。同じ世代で日経を背負った仲間なので、話せばわかると思った」

と証言していた。また、同弁護士に「2人はルールを知らないと言っていたか?」と聞かれ、

 「言っていません。2回目の(会談があった)11月はじめ、山本さんとの話で、『日経株式を取得したときに、譲渡ルールを知っていたでしょ?』と聞いた。何回もしつこく。しかし、『(社員を辞めて、もはや譲渡ルールを定めた日経共栄会の)会員じゃない。会員でないならルールに縛られない』と言っていた」

と証言していた。

 原告・被告とも論点や主張を整理し終えたかどうかを確認する際、難波裁判長は、

 「原告ももう述べることはないですか?」

 これに対し、山本氏が

 「はい。もうひとりの原告、和佐は傍聴席にいます」

と答えると、難波裁判長は、傍聴席にいる和佐氏に向かって、

 「(資料にある)若いころの写真を見ましたよ」

と話しかけた。裁判長が傍聴席にいる原告に向かって語りかける姿は、記者の目には異例に映った。

 日経側の主張によると、同社は、会社法の特例である日刊新聞紙法によって、社員株主制度を採用し、株式の譲渡先を制限している。社員株主制度は日経共栄会が運営を担い、「譲渡ルール」を定めている、という。そのルールとは、

◆ 株主の譲渡価格は一律、1株100円
◆ 事業関係者として株式を保有する資格がある限り、原則として取得した株式は保有し続ける
◆ 退社、死亡などで株式の保有資格を失ったとき、または個人的理由で株式を売却する必要が生じたときは、「日経新聞共栄会」が1株100円で買い戻す

──の3つ。「譲渡ルール」は2004年に「共栄会ルール」として明文化されたが、それ以前も、慣例として執行されていた、と会社側は主張している。

 山本氏は和佐氏に、1000円で400株を譲渡。これに対し、日経はこの譲渡を「ルールに違反する」として認めなかった。山本、和佐の両氏は、「譲渡ルールについての説明はなかった」「株式譲渡の自由に反する」として、日経を訴えていた。

(記者:渋井 哲也)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070830-00000005-omn-soci