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2007年08月30日(木) 10時44分

受け入れ拒否 死産読売新聞

1年前には妊婦死亡

 奈良県内から救急搬送された妊婦が29日、同県や大阪府などの計9病院で受け入れを断られ、救急車内で死産した。同県では昨年も、公立病院で分娩(ぶんべん)中に意識不明となった妊婦が、同府内などの19病院に受け入れを断られた末、搬送先の病院で8日後に死亡。これを教訓に、県などが妊産婦の救急搬送システムの改善を急いでいるところだった。産科医の不足、それに伴う病院の産科撤退は全国で深刻化しており、命の誕生を担う産科医療が危機に直面している。(大阪社会部 細野直人、茨木崇志、医療情報部 館林牧子)

妊婦搬送の経過

午前

 2時44分 奈良県橿原市内のスーパーで女性が体調を崩し、知人が119番通報

 2時52分 中和広域消防組合の救急車が到着

 2時55分 奈良県立医大産婦人科に受け入れ要請。「手術中」のため搬送できず

 3時ごろ〜4時すぎ 大阪府内の5病院に要請したが、「処置中」などとの返答。その後、県立医大産婦人科・救命センター、同府内の3病院に要請したが、「2次輪番へ行ってください」などと断られる。この間、女性はスーパー駐車場に止めた救急車内で待機

 4時19分 同府高槻市内の病院が受け入れ許可。救急車出発

 5時5分 女性が救急車内で死産

 5時9分 高槻市内で救急車が交通事故

 5時15分 高槻市消防本部が同市内の病院に電話するが、「受け入れ困難」と回答。他の2病院も断る

 5時30分 高槻市内の病院に再度要請し、受け入れ許可

 5時46分 病院に到着

周産期センター6県で未整備

 厚生労働省は1996年度から、「総合周産期母子医療センター」を全都道府県に最低1か所整備する計画を進めてきた。今年度までに全都道府県で整備を完了するのが目標だったが、奈良県を含む6県では、現時点で未整備のまま。このうち、岐阜、鹿児島は今年度中に整備される予定だが、奈良、山形、佐賀、宮崎は、来年度以降にずれ込む見込み。病床確保や人員配置が追いつかないのが原因と見られる。

 今回の事態を受け、厚労省は、センターの整備を急ぐとともに、整備までの期間も十分な対応ができる体制をとるよう、奈良県はじめ関係各県に求めた。

救急搬送の改善進まず

 午前2時55分、奈良県橿原市の県立医大病院で、当直の職員が電話を取った。中和広域消防組合通信指令課から、産婦人科への患者受け入れ要請だった。当直の医師は2人で、ベッドは2床空いていた。

 職員は医師に連絡したが、この1分前に別の妊婦が搬送されていた。医師は「お産の診察中。後にしてほしい」と話し、職員は「患者が入った」と消防に伝えた。もう1人の医師は、帝王切開した入院患者につきっきりだった。

 午前4時過ぎの2回目の要請にもこたえられず、3回目は同病院の救命センターに要請があったが、「患者の状態を聞く限り、治療対象ではないのでほかをあたって」と断ったという。

 奈良県には、リスクの高い妊婦を受け入れる総合周産期母子医療センターがないうえ、昨年以降、医師不足で産科を閉鎖する病院も相次ぎ、患者が県立医大などの基幹病院に集中。昨年8月に同県大淀町立大淀病院から搬送された妊婦が死亡した問題でも、県立医大病院は「満床」を理由に受け入れを断っている。

 29日に記者会見した県は「対応はやむを得なかった。県全体でカバーする取り組みが必要」と説明した。

 県内の他の産科救急の病院も受け入れ不可能だったため、消防は大阪市消防局などに電話で照会をかけながら病院を探した。同市内などの7病院と府立母子保健総合医療センター(和泉市)に電話を入れたが、通報から1時間半後に受け入れ先が見つかるまで断られ続けた。

 その理由の多くは「処置中」だった。大阪市西淀川区の病院は「未明に4人の分娩があり、1人が帝王切開。さらに2人が待機中の状態で、当直医1人に加え、もう1人の医師を呼び出すなど手いっぱいだった」と話す。府内も公立病院の産婦人科休診などが相次ぎ、分娩可能な施設は200程度に過ぎない。

 同医療センターの場合、受け入れ可能な体制はあった。センターは切迫早産や前置胎盤などハイリスク患者に対応するための施設で、軽症患者は原則、対象外だが、これまでも症状によっては受け入れてきた。センターによると、「患者を搬送できるか」という消防からの電話に応対したオペレーターが「紹介型病院で一般救急は受け付けていない」と答えた上で、医師に電話をつなぐかどうかを尋ねたところ、消防側は搬送をあきらめた、という。センターの末原則幸産科部長は「出血があり死産の可能性があると聞けば、受け入れることはできた。病院からの転送依頼なら、すぐにドクターと連絡を取るようにしているが」と悔やむ。

 センターに対するハイリスク患者の転院依頼は年間約400件あるが、ベッド数不足などで、受け入れ可能なのは3割程度。末原部長は「救急患者を無条件に受け入れることはできない。市民病院など地域の救急病院の体制を強化する必要がある」と話す。

 総合周産期母子医療センター 危険な状態にある妊婦や胎児の処置にも対応できる高度な機能を持った拠点医療施設。国の指針で、都道府県の人口が100万人以上の場合、「新生児集中治療管理室」が9床以上など、設備の基準が定められている。

産科医、施設全国で減少 30病院で断られた例も

 妊婦が“たらい回し”にされるのは、関西地方だけの問題ではない。国立成育医療センター(東京都世田谷区)の久保隆彦・産科医長は「首都圏でも妊婦の受け入れは難しくなっており、たとえば、神奈川県から千葉県や静岡県などへ搬送されるのは日常茶飯事。9病院から断られたと聞いても、特に驚かない」と話す。久保医長によると、神奈川県で今年、妊娠中期に破水した妊婦が約30病院に受け入れを断られた例もあったという。

 こうした事態の背景に、産科医の不足と、お産を扱う医療機関の減少がある。

 全国の産婦人科医は、2004年に1万594人と、10年間で7%減少。日本産科婦人科学会によると、出産を扱う医療機関は1993年に4286施設あったが、2005年に3056施設に激減した。

 都市部では、地域の中核病院や診療所の産科が閉じ、大病院にお産が集中。産科のベッドはいつも満床で、緊急に対処が必要な妊産婦の診療要請があっても、受け入れる余裕がない状態が慢性化している。

 全国の総合周産期母子医療センターへの調査では、母体の救急搬送を受け入れた率は、2005年に全国平均で67%だったが、東京と大阪の都市部では44%と極端に低かった。調査した全国周産期医療連絡協議会は「救急搬送体制は都道府県単位だが、現実には県境をまたいだ搬送が日常的になっており、それを円滑に実施するシステムが必要」と指摘する。

 地方では産科医不足は一層深刻で、産科医がいない空白地帯もある。北海道根室市では昨年9月から常勤の産科医が不在で、妊婦は緊急時や出産の際は約120キロ離れた釧路市の病院に行く。道内の3大学が協力、地域の中核病院に医師を派遣し、100キロ圏内に出産できる施設を確保できるよう努めてきたが、医師不足から難しくなったという。

 北海道大産婦人科の水上尚典教授は「産婦人科医は拘束時間が長いうえ、出産にまつわる訴訟が多いのでなり手が減っている。報酬面の改善も含め抜本的な対策が必要だ」と訴える。

一刻も早く抜本対策を

 「このままではまた同じことが起こってしまう」。昨年8月、奈良県の妊婦が“たらい回し”にされた問題を取材した際、ある産科医はそうつぶやいた。医師や病床の不足……。行政側は「医師を派遣する大学医局の問題などもあり、簡単には対応できない」というが、一刻も早く抜本的な対策を取らなければ、悲劇は再び繰り返されてしまう。昨年8月からの1年間は何のためにあったのだろうか。(茨木)

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070830-OYT8T00057.htm