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2007年08月14日(火) 00時00分

ずんだもち(宮城県加美町)読売新聞


つきたてのもちに、ずんだをたっぷりかけて食べるのが作法。枝豆の細かいつぶが残っているのがわかる

 枝豆をつぶして砂糖を加えたあんが「ずんだ」で、これにもちをからめたのが「ずんだもち」。南東北は、昔から材料の枝豆ともち米がよくとれた。この素朴な“夏の味”はどのように作られ、食べられているのか。宮城県最大のもち米産地、加美町を訪ねた。

枝豆がとれる夏から初秋に
食卓に緑を添えたもち料理

 古川駅で東北新幹線を降り、駅前からタクシーに乗った。目指す加美町は古川の西、奥羽山脈を隔てて山形の尾花沢市と接している。枝豆ともち米の生産量が県内でも指折りで、町おこしの一環として、もち料理を残していこうという運動が盛んな町だ。しばらく行くと市街地は切れ、県道の両側に霧雨にぬれる田園が広がった。

 もち米農家を営む鎌田和子さん(64)宅に着くと、すでに準備万端。鎌田さんらグループは加美町商工会に所属しており、農業のかたわら、特産品の直売所でもち料理専門店「もち茶屋」を開いている。集まった女性陣も同じ店で働いている人たちだ。「そろそろすっぺっちゃ」。鎌田さんの声を合図に、ずんだもち作りが始まった。

 もち米は地元でとれた特産のミヤコガネモチ。炊き上がったら、もちつき器に入れる。これと並んでずんだ作りが進んでいる。まずサヤから取り出した肉厚の枝豆を両手で手もみしながら水洗いする。

 「こすって皮を取んのね。皮があると色が悪くなるし、日持ちしないんだわ」ともち茶屋の児玉栄子さん(67)。「昔は、もちは杵でついて、枝豆はすり鉢でつぶしたもんだけどねぇ」と言う。

 枝豆をスピードカッターで細かくつぶして別の器に移し、そこに砂糖と少量の塩を入れたシロップ状の湯を注いでまぜる。「豆を打つから“ずだ”、これがなまって“ずんだ”」。その澄んだ若草色を見れば、いやがうえにも食欲が増す。


もち茶屋のみなさん。卓上にはもち料理のほか、朝採りのタケノコの煮つけ、キュウリの浅漬けなどが並んだ

 子供のころ、一度だけずんだもちを食べたことがある。遊びに行った友だちの家でおやつとして出たのだ。何でできているのか知らないまま夢中になって食べ、家に帰ってせがんだものの、家族はその作り方を知らなかった。実にシンプルな食べ物だが、大豆の未熟豆である枝豆は、タンパク質、ビタミンB1・B2、カリウム、食物繊維などが含まれている。もちと一緒だから腹にもたまる。

 鎌田さんが若いころは、枝豆の収穫期の8月から9月にかけて、特にお盆の時期の膳に出されていたという。冷凍庫のある現在は、1年を通して食べられる。

 伊達家の陣中食が発祥という説もあるが、広く農家で食べられていたものが、時代が下って仙台の菓子店で商品化され、一般に普及したという説に信憑性がある。南東北各地で食べられており、山形の一部では同様のものを「ぬたもち」と呼ぶ。

 卓上には、ずんだのほか、あんこ、納豆、クルミ、黒ゴマもちと、おつゆもちと呼ばれる雑煮が並んだ。これに細切り野菜を酢であえた「なます」を加えれば、昔ながらの農家の祝い膳になる。鎌田さんらはこうした伝統料理を復活させ、店や町の食イベント「食の文化祭」に出して話題を呼んでいる。

 「あたしら昔の農家の嫁は苦労したもの。今の人に口うるさく言ってもダメだから、やれることをやって、伝えるべきものを伝えていきたいだげだっちゃ。もち料理もそのひとつ」と鎌田さんは言う。


 今や仙台駅の売店で土産用のずんだもちが売られる時代になった。しかし鎌田さんらが目指すのは、それとは別の、郷土に根ざした素材と味だろう。

 生涯2度目のずんだもちは、かすかに残っている記憶より、目に鮮やかで、ずっと甘かった。舌先に感じる枝豆の粒と、青くさい風味がいい。つきたてのもちは口の中にはりつくほど柔らかく、おつゆもちのダシ汁の塩気と、ずんだの甘みが合う。

 「いいあんべ(塩梅)でしょう。遠慮しないで、どっさり食べでけらえん」と鎌田さん。10個ほどのもちを平らげ、息上がる私の姿がおかしかったのか、食卓は笑い声に包まれた。(文/福崎圭介 写真/佐藤新一)

旅行読売9月号より

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/gourmet/fudoki/20070814tb02.htm