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2007年03月20日(火) 00時00分

病死の同級生と「卒業」朝日新聞

 私たちは啓斗君と一緒に卒業します——。2年前、急性白血病で亡くなった友達のために、藍住西小学校(藍住町富吉)の6年生が藍染の布でタペストリーを作り、卒業式で母の栄子さん(44)に手渡した。「命の重みを教えてくれた啓斗君は、今も私たちの心の中で生きている」。その思いを胸に120人は巣立った。

(柳沢敦子)

 明るく、にこーっと笑う萩原啓斗君。「ハイッ! ハイッ! ハイハイハイッ!!」と、漫才コンビ「レギュラー」のものまねをしては、周りを笑わせた。4年生の時、同級生だった女の子は、クラスの男子と言い争って泣き出したら、「いけるん?」と心配して声をかけてくれたのを覚えている。みんなから「ハギー」と呼ばれていた。

 3人兄弟の末っ子。幼い頃は母親にぴったりくっついている甘えん坊だった。小学校に入学すると、4歳上の兄とテニスやテレビゲームをして、いつも一緒にいた。1年生の時から習い始めた少林寺拳法が好きで、「黒帯をとるまでがんばる」と話していた。

 05年3月28日、約2カ月の闘病の後、啓斗君は静かに息を引き取った。5年生に進級前の子どもたちにとって、あまりに突然の出来事。仲良しだった男の子は、啓斗君の話題を避けるようになった。

 啓斗君のために何かしようという声が子供たちから出てきたのは、卒業まで3カ月に迫った昨年12月中頃。卒業文集の題を決める学年集会の時だった。一人の女の子が「華」を提案した。女の子は「『藍の華』(藍染液の表面にできる泡)がみんなで親しんだ藍の学習を連想させる」と説明した。

 しかし、本心は違った。啓斗君がORANGE RANGE(オレンジレンジ)の曲「花」が大好きだったからだ。みんなそれを知っていて、賛成した。

 後でそのことを知った先生が提案した女の子に尋ねた。「なぜ、啓斗君の話を出さなかったの?」。逆に女の子が先生に問いかけた。「言っても良かったの?」

 子どもたちの思いが噴き出した。「つらい思い出」として、みんな、それまで口にするのを避けていた。卒業記念の共同制作も、啓斗君のために藍染の布でタペストリーを作ることに決まった。モチーフはモクレン。

 2年前、栄子さんが啓斗君の修学旅行用に積み立てていた貯金を学校に寄付。啓斗君が亡くなった頃に花を咲かせるモクレンの木がグラウンドを見渡せる場所に植えられた。翌春、白い花が六つ咲き、「啓斗君も6年生になるんだ」と子供たちは思っていた。

 16日の卒業式。「白いモクレンの花が やさしい風にゆれています」から始まった別れのことばの最後で、タペストリーを披露。「啓斗君の分まで 一生懸命生きていきます」の言葉とともに、卒業生の代表が保護者席の栄子さんに手渡した。

 卒業式の後、栄子さんは、会場の外で写真を撮り合う卒業生を目を細めて眺めていた。「これから、みんなもいろいろ悩みつらくなる時もあると思う。そんなとき、啓斗のことを思い出してくれたら」

http://mytown.asahi.com/tokushima/news.php?k_id=37000000703200003