東電の発表によると、制御棒の脱落は、93年6月に福島第二原発3号機で、00年4月に柏崎刈羽原発1号機で起きた。
他原発で明らかになった脱落と同じく、原子炉を止めての定期検査で、制御棒が動かないようにするため、駆動装置の弁の開閉作業をしていた。ところが手順を間違え、制御棒を下げる方向に水圧がかかった。
制御棒が脱落した長さは福島、柏崎刈羽とも、可動範囲(3・6メートル)の半分以下で、臨界状態にはならなかった。柏崎刈羽では、原子炉上部にある二重のふたのうち、外側の一つが開いていた。
福島第二では、当時の作業手順書に弁の操作法がどう書かれていたか、わかっていない。柏崎刈羽では手順書の記載は正しかったが、現場で運転員による弁の開閉の確認が不十分だった。
東電には、発電所ごとのこうしたトラブル情報を社内全体で共有し、対策を行き渡らせる仕組みはなかった。共有する体制が整ったのは04年7月以降だという。
http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY200703200456.html