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2007年03月20日(火) 00時00分

女性能楽師に晴れ舞台 国立能楽堂で定例公演朝日新聞

 「私たち女性能楽師にとりまたとないチャンス。成功させたい」。観世流シテ方能楽師の鵜沢久は、そう奮い立つ。国立能楽堂(東京)が、舞台に立つことの少ない女性能楽師たちの能会を今年から年1回、定期的に開こうという企画だ。第1回の24日に、鵜沢は「小鍛冶(こかじ)」でシテを舞う。

●「男の芸能」に風穴、未来担う

 国立能楽堂は10年ほど前から小規模な女性能楽師の能会を開いてきたが、中断した。04年に、22人の女性能楽師が初めて重要無形文化財総合指定保持者に指定され、今度の企画が決まった。「男性と一緒に、能楽の未来を担ってほしい。国指定を受けて今回、定期公演シリーズとして始める」という。

 能楽には、男性の芸能として確立した長い歴史と芸態がある。太く低く響く謡に向かない女性の高音。今でこそ小ぶりな物もあるが、きゃしゃな女性には寸法が合いにくい装束や面。プロの世界では「女人禁制」が通用した。

 しかし戦後、女性能楽師のパイオニア津村紀三子の登場で壁は崩れた。48年にプロの能楽師集団の能楽協会に女性が入会した。今は1400人を超す会員のうち、女性は200余人。無形文化財の指定保持者は日本能楽会にも入会が認められ、そちらは400余人の会員の5%近くを占める。

 「能には、男女の性別を超えた個としての表現がある。そのためには深い息の謡と芸が必要」が鵜沢の信念。3歳で初舞台を踏み、能楽師の父や、観世寿夫らに師事し、東京芸大でも学んだ。男性社会の中で、シテを演じられるまで、長い歳月を耐えた。

 様式化された型を駆使する能は、生な表現がタブー。主人公が女性の能も、男性が思い描く美の象徴だ。「舞台から女性が見えるのでなく、にじみ出す表現に、女性能楽師の方向がある」と鵜沢は見る。

 04年の女性総合指定者22人は、70代から50代。鵜沢が最年少だった。「風穴は開いた。後輩の女性能楽師たちにつなげていく責任を感じる」と言う。

 24日は、総合指定された金春流シテ方のベテラン富山禮子が「班女」を舞う。能楽師の家に生まれた鵜沢、素人弟子から出発して長い研鑽(けんさん)を積んだ富山。男性芸能の壁を突破しようと、それぞれの道をひたむきに歩いてきた2人だ。

 残席は2600円。電話0570・07・9900(劇場チケットセンター)。

http://www.asahi.com/culture/stage/koten/TKY200703200308.html