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2007年03月19日(月) 00時00分

〈救え高松塚壁画:5〉反省ふまえ、公開の道さぐる朝日新聞

 横穴式石室の狭い墓道をかがむように進むと、南壁にガラスの小窓があった。1月末、石室内は湿度90%以上、温度約15度。手動ワイパーで窓の曇りをぬぐい、のぞいた。蛍光灯の明かりに奥の絵がくっきり。うちわや馬、人、舟、波……。赤と黒の2色で、1500年前に古代人が描いた黄泉(よみ)の世界だ。

ガラス越しの竹原古墳の壁画。手前の右側壁に朱雀、左側壁に玄武、その奥に馬や人の絵がある=福岡県宮若市で

 福岡県宮若市の竹原(たけはら)古墳(国史跡)は、響灘(ひびきなだ)に注ぐ遠賀川(おんががわ)の支流沿いにある。6世紀後半の円墳(直径18メートル)で、1956年に然発見された。朱雀(すざく)や玄武、竜など中国の四神を意識した絵も描かれている。ほぼ一年中、壁画を観察できる全国でも異色の存在だ。

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 竹原古墳は、石室の壁や棺(ひつぎ)に文様などを彩色したり、線刻したりした装飾古墳の一つ。5〜6世紀を中心に全国に約610基あり、6割が福岡、熊本両県に集中する。

 竹原古墳が突然、カビに襲われたのは02年8月。カビは窓越しでは見えない側壁の死角部分に青黒く広がっていた。

 それまで竹原では、外気流入を抑え、点検数を減らすためにガラス窓を設け、目視で点検してきた。年1回の立ち入り点検では、下着1枚の体に消毒液を薄めて噴霧し、白衣にマスク、ゴム手袋を着用。靴も消毒した。

 これほど入念に消毒を心がけて管理した竹原の壁画は何の問題もない「優等生」のはずだった。70年代から福岡県内の装飾古墳の保存にかかわってきた九州歴史資料館の元学芸第2課長、石山勲さん(62)はショックを隠せなかった。

 市教委の舌間悟(したま・さとる)係長(43)らと消毒液をしみこませた脱脂綿でふいてみた。月ごとに経過をみながら、薄めたホルマリンの噴霧も繰り返した。1年後、カビは見えなくなったが、石山さんの不安は消えない。「カビは減っても消えたわけではない。患部に赤チンを塗っただけかも」

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 発見から30年を経てもカビ被害のない装飾古墳がある。73年に見つかった茨城県ひたちなか市の虎塚(とらづか)古墳(7世紀初め、国史跡)だ。前方後円墳の石室に、赤と白色の幾何学模様が大胆な構図で描かれている。

 虎塚では、石室を開ける前、東京文化財研究所が石室内の温・湿度などのデータを樹脂製の管を使って採集した。前年に高松塚壁画が発見されており、採集は壁画の存在を予想した行動だった。データを基に現在も当時の石室環境を保っている。虎塚の壁画が劣化しない主因とみられる。

 非公開の高松塚壁画に対し、虎塚は毎年春と秋に一般公開する。昨秋は約3000人が訪れた。定期点検を一般公開の前後に実施し、これ以外に石室への出入りはしない。観察や補修、写真撮影などで複数の人が度々出入りし、防護服を着ないで入室したこともある高松塚との違いは大きい。

 文化庁の壁画恒久保存対策検討会委員で奈良大の白石太一郎教授(考古学)は「しっくいの上に描かれた高松塚と、石材に直接描かれた装飾古墳では保存対策も違うが、高松塚は装飾古墳の失敗や成功例を検討すべきだった」と話す。高松塚の壁画は石室解体後に保存処理し、復元した石室に戻して公開する方針だ。「どんな方法で公開できるのか。修復にかかる10年こそ、その研究にあてる貴重な歳月になる」

=おわり

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〈高松塚のうんちく〉 高松塚は中世に盗掘され、副葬品は少なかったが、1枚の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が注目された。直径約17センチの銅鏡。葡萄唐草(からくさ)の文様と獅子や竜、鳥などが肉彫りされている。唐を代表する鏡で、702年に再開された遣唐使が持ち帰ったらしい。海獣葡萄鏡を副葬した高松塚はそれ以後に築造されたとの見方が有力だ。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200703190014.html