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2007年03月17日(土) 00時00分

外環道地下化へ朝日新聞

 練馬から世田谷まで16キロを結ぶ東京外郭環状道路(外環道)計画の「凍結」が37年ぶりに解除された。16日に開かれた都の都市計画審議会は、高架方式から大深度地下方式への変更案を了承した。沿線住民による外環道路反対連盟の濱本勇三代表幹事(67)は「石原知事に裏切られた」と不満を漏らし、都庁周辺では住民有志が抗議の声をあげた。(松村康史)

 濱本さんの手元には今も、8年前の「回答書」がある。その年の知事選に立候補した人たちに、反対連盟がアンケートをした結果だ。

 当時の石原氏は候補者として、計画への賛否を保留したうえで「環境を破壊する排ガスについては都が率先して規制する。(車の)ナンバーによる規制やディーゼル車の規制、都心への流入規制など。その後それを前提に道路計画を見直す」と、自筆で回答していた。

 当選後、ディーゼル車の排ガス規制は実行されたが、自動車の流入規制は実現していない。一方で地下化への手続きを進めた石原知事について、濱本さんは「約束を守らなかった。最近は、われわれと会おうともしない」と批判する。

 国と都は、かつて激しい反対運動を受け、計画を凍結したことを教訓に02年、「PI(パブリックインボルブメント、住民参画)外環沿線協議会」を設置し、濱本さんらも加わった。

 濱本さんは「行政と住民が話し合う場ができた意味は大きい」としながらも、「原点に戻って話し合うはずが、議論がかみ合わず、計画変更の話し合いになってしまった」と残念がる。

 この日は反対連盟としての抗議行動はしなかったが、「事業化阻止に向け、これからが正念場だ」と話した。

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 都庁前には、沿線の住民団体の有志ら約70人が集まった。外環道で消失する練馬区の登録天然記念物「八の釜のわき水」を守る運動をしている団体や、三鷹市で計画の是非を問う住民投票の実施を求めている団体などがプラカードを掲げ、「外環道を許すな」と声を合わせて訴えた。

 都市計画審議会の開会前に代表者が都の担当課を訪れ、鹿島尚武会長あての要望書を提出した。

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 都の都市計画審議会では、外環道関連の議題が約1時間20分審議された。「十分に時間をかけて地元と話し合ったと考える」「凍結宣言が出された時点と状況は変わっていない」など、賛否双方の意見が出された後、賛成多数で了承された。

 変更案は、地下40メートルより深い場所を通る「大深度地下」方式。目白通り(練馬区)、青梅街道(同)、東八道路(三鷹市)の3インターチェンジと、関越道、中央道、東名高速とのジャンクションが造られ、その付近は地上構造となる。

 変更案は、1カ月程度で国土交通相の同意を得て正式に告示される見通し。事業化のためには、政府の国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)で整備計画路線にまで「格上げ」される必要がある。

■外環道をめぐる主な動き■
66年7月 高架式で都市計画決定
70年10月 反対運動を受け国が「凍結宣言」
99年12月 石原知事が地下化を表明
01年1月 扇国交相が現地視察
  4月 国と都が地下計画のたたき台公表
02年6月 PI外環沿線協議会発足
03年3月 地下40メートル以下の大深度とする方針公表
06年6月 都市計画変更案と環境影響評価準備書の公告・縦覧
07年3月 都の都市計画審議会が計画変更を了承

http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000000703190003