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2007年03月17日(土) 00時00分

〈救え高松塚壁画:4〉「何のための保存か」模索の中国朝日新聞

 京都造形芸術大学の岡田文男教授(文化財科学)は05年8月、中国・西安市郊外の大学建設現場で見つかった前漢時代(紀元前202〜紀元後8年)の地下墓に足を踏み入れた。

西安理工大学で見つかった壁画墓の天井に描かれた朱雀=西安市文物保護考古所提供

 墓道は滑りやすく、降りていくにしたがって湿り気を含んだ冷気に包まれた。つきあたりは「●(せん)」と呼ばれるれんが状の焼き物を積んだ壁。開けられた穴から墓室の奥をのぞくと、竜とともに天へ昇る、肩に羽のある人物の壁画が見えた。

 「天井を見上げたら、翼を開いて飛ぶ朱雀(すざく)が描かれていた。鮮やかな赤色に息をのんだ」

 大学名から「西安理工大学西漢壁画墓」(西漢は前漢の中国での呼称)と名付けられた墓には、竜や翼をもつトラなどの神獣のほか、馬に乗って弓矢でイノシシを狩る貴人や、貴婦人らの宴会の様子が生き生きと描かれていた。前漢の壁画墓はごく少数で、大きな話題になった。

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 西安市周辺では、唐皇帝の親族である章懐太子や永泰公主の墓をはじめ、多数の壁画墓が見つかっている。これらの墓は地下深くに造られるため、保存施設の設置は難しい。現地保存は困難として、50年代ごろから壁からはぎ取って博物館や考古研究所に運び、パネル状にして保存する方針がとられてきた。

 こうした壁画は大半が隋・唐時代(581〜907年)のもの。壁画を描いたしっくいの下に厚い土の層があり、容易にはぎ取ることができる。しかし、西安理工大で見つかった前漢墓では、「セン(つちへんに專)」に塗られた厚さわずか0.8ミリの白土(はくど)に壁画が描かれている。「白土の層はあちこちでめくれあがっており、すべてをきれいにはぎ取るのは無理。現地保存の方向で検討が進んでいる」と岡田教授は説明する。

 京都造形芸大は文化財の保存処理を手がける吉田生物研究所(京都市)とともに、壁画墓を調査した西安市文物保護考古所と06年、共同研究協定を結んだ。壁画に使われた画材の分析や白土層を固定するための樹脂素材の研究を進めている。素材開発は壁画の保存修復に大きく寄与できる。

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 「中国の壁画保存といえば、はぎ取りのイメージが強いが、実は地域や壁画の古さによって手法は様々だ」と中国の絵画に詳しい百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大学教授(美術史)は指摘する。河南省・洛陽市の古墓博物館では、漢代から元代までの壁画墓を移築し、1カ所で見学できるようにしている。一方、乾燥地でカビの心配が少ない甘粛省の地下墓の多くは、現地保存されているという。

 日本やイタリアなどとの協力で中国の文化財保存技術は向上。「現地保存が原則」という意見も強まる一方、「地域の誇り」として、現地や博物館での文化財の公開を求める声も根強い。

 壁画の保存修復に詳しいユネスコ北京事務所の杜暁帆・専門員は「壁画保存は、公開より優先されるべきだという意見もある。しかし、歴史遺産が与えてくれる感動を国民も共有できなければ、公費を使った保存に理解を得ることは難しい。中国では今、何のための保存かという理念が改めて問われている」と話す。

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〈高松塚のうんちく〉 古代中国では、東西南北の守り神として霊獣4種を想像し色分けした。東に青竜(青)、西に白虎(白)、南に朱雀(赤)、北に玄武(黒)。高松塚では南壁に穴が開けられて朱雀がなかったが、後に発見されたキトラ古墳は四神が勢ぞろい。四方を色で守る名残は現在、大相撲の土俵のつり屋根を飾る「四房(しぶさ)」などに見られる。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200703170046.html