志賀原発の位置
臨界状態の原子炉が制御不能となる事態は、ミスの連鎖で起きた。同社によると同機は当時、定期検査に合わせて原子炉の停止機能を強化。事故があった99年6月18日は、その性能を確かめるため、制御棒の挿入試験を準備していた。
炉の上ぶたを開け、89本ある制御棒を炉の下から挿入して出力を止め、作業員が制御棒を上下させる駆動装置(水圧式)の弁を次々と閉める作業をしていた。駆動装置の別の場所で漏水があり、その水圧で制御棒3本が自動的に引き抜かれた。核反応が始まり、部分的に臨界状態となった。
さらに、日立製作所がまとめた試験手順書には誤記があり、漏水を逃がす安全弁が働かない設定になっていたことや、制御弁を閉める順番のミスも続いた。出力は営業運転の際の定格熱出力の1%未満だったという。
想定外の臨界で警報が鳴ったが、制御棒を緊急挿入する別の安全装置も働かず、中央制御室で警報を知った当直長が、放送で手動操作を指示。約15分後、制御棒は元の状態に戻った。作業員らの被曝(ひばく)はなかったが、発電所長ら幹部が協議して事実を運転日誌にも残さず、国などへも報告しないことを決めた。
甘利経産相は「憤りすら感じる。今までのデータ改ざんとは質が違う。厳正に対処しなければならない」と述べた。
http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200703150316.html