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2007年03月12日(月) 00時00分

【地域の行方】(5)地域の医療朝日新聞

 =安心支える81歳の医師=
 −町長時代にも朝夕にも診療−

 門前総合支所から車で5分ほど。輪島市門前町道下(とうげ)にある木造2階建てのピンクの建物。看板はない。旧町の最後の町長だった宮丸冨士雄さん(81)が今も現役で開いている「宮丸医院」だ。

 3月上旬。そろそろ昼休みという時間に、電話がかかってきた。「門前高のソフトボール部の女子生徒が風邪をひいた」という。早速やって来た生徒に、宮丸さんは「熱いくつあった?」「頭痛い?」「せきは出ない?」と診療を始めた。丁寧に薬の説明をした後、「寝とるのが一番の良い薬」と生徒を送り出した。

 医院には、風邪、高血圧、やけど、花粉症——いろんな患者がやって来る。「婦人科と精神科以外は全部診るよ」

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 1925(大正14)年生まれ。輪島の中学校を卒業し、陸軍幼年学校に進んだ。将来の夢は「陸軍大将」だったが、19歳で終戦を迎えた。実家に戻ってぶらぶらしていた時、近くの開業医に「このままだとこの村は無医村になる。医者の学校を受けたらどうや」と勧められたのがきっかけで、医師の道を志した。

 57年に開業。診察が終わると、月賦で購入した日産のダットサンで町内を往診に回った。まだ道路は未整備。車を降りて1時間ほど歩いて患者の家に到着したこともあった。

 87年に町長に初当選。医師との両立は難しいと、医院をたたもうと考えた。患者には他の医師への紹介状を書いたが、「ほかで診てもらったことがない」と訴える患者の声に、「朝来る晩来ると言われては断れない」と存続を決めた。

 当時の診療は朝と夕方。朝は7時から役場に行く8時半まで。夕方に役場から帰ってきてからまた患者を診た。3期務め、99年にいったん引退したが、合併問題をめぐる紛糾をきっかけに04年に町長に復帰。その時も同じように診察した。

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 開業した当時に比べ、能登有料道路など道路網が見違えるように整備され、救急態勢も整った。だが、インフラが充実する一方、医師が奥能登にいないという深刻な問題が横たわる。

 県は05年、定年で退職した医師に病院や診療所を紹介する「地域医療人材バンク」制度を始めた。だが昨年、公立穴水総合病院(穴水町)兜診療所に医師が1人赴任したのみ。地域医療を志す医師が自治体病院などで研修を受けられるプログラムにはまだ応募がない。県医療対策課は「研究をしたい人には地方では症例が少ない。医師の家族の問題もあり、難しいところ」と話す。

 旧門前町の周辺には市立輪島病院、穴水総合病院、富来病院(志賀町)と大きな病院があるが、旧町内にはない。開業医は宮丸さんを含め5人しかいない。「今後はどうなるか」と宮丸さん。医師の娘には帰ってこなくていいと話している。

 昨年2月に旧町が輪島市と合併した後、宮丸医院の診療開始は午前8時からとなった。だが患者がその前から待っていると、前倒しで診療を始め、多い日で60人ほどの患者が訪れる。かつては子どもの患者が多かったが、今は半分以上が65歳以上。車で30分ほどかかる貝吹地区に住む女性(77)は子どものけがの治療を受けて以来、かかりつけにしてきた。

 「ずっと同じだと、安心感がある」

 半世紀にわたって地域医療を担ってきた81歳の老医師。なかなか引退の時期はきそうにない。

 (平松ゆう子)

http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000000703120004