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2007年03月11日(日) 00時00分

家族“孤立”支援の手届かず読売新聞

客観的判断できる状態必要

 泉佐野市の土木作業員(59)が2006年11月、寝たきりの妻(当時40歳)を餓死させたとして、保護責任者遺棄致死罪で起訴された。被告は娘2人と約3年間、妻が死亡するまで介護を続けていたものの、検察側は「医療措置を受けさせないまま放置した」と主張。弁護側は「医療措置が必要との認識はなかった」と、無罪を訴えている。在宅介護の現場で何が起きたのか。(森重孝)

 地裁堺支部で開かれている公判のことは、知人から聞いた。「介護放棄」による痛ましい事件が全国で相次いでいる。今回は違うのか。それとも同様の事件なのか。傍聴席に座り、耳を傾けた。検察側の冒頭陳述や供述などによると、01年から寝たきりだった妻が死亡する直前の状況は、こうだ。

 05年3月30日午後8時30分ごろ、被告は妻の世話をしながら声をかけた。「パン食べるか」。妻は「今はいらない」と答えた。

 1時間後、被告は異変に気づく。あおむけになった妻が上に腕を伸ばし、「うー」と言って、意識を失った。被告が119番し、泉佐野市内の病院に運ばれたが、帰らぬ人となった。

 死因は餓死。身長1・58メートル、体重は24キロ。1983年当時には1・65メートル、55キロだった体はやせ細り、足は両膝(ひざ)が折れ曲がって伸びなくなっていた。

 公判で検察側が「摂食能力が失われ、その危険性を認識しながら放置した」としているのに対し、弁護側は「食事は少しだが食べており、危険性の認識はなかった」と真っ向から反論している。

 2月に開かれた公判には、証人として長女(23)が出廷。尋問は、死亡1か月前からの食事量や、被告ら家族に医療措置が必要という認識があったかに重点が置かれ、長女は検察官、弁護人らの質問に答えた。

 「死亡前年(04年)の12月ごろから、少しやせ始めているなと思った。死亡する1か月前から、菓子パンや果物しか食べなくなった」「病院に診せた方が良いという話はしたが、母が嫌がった」「(死亡する前も)栄養ドリンクを好んで飲んだ。風邪をこじらせ死亡したと思っていたので、餓死と聞いて、びっくりした」

 長女は記憶をたどりながら淡々と述べた。が、「医師に診せるべきだった」という言葉は出てこなかった。

 家族による介護が、悲惨な結末を招いたとすれば、その現実を、どのように見つめたらいいのだろうか。

 府立大看護学部の白井みどり教授は一般論としたうえで、「介護する側の知識・認識不足が原因で、悲しい結果となることもある」と指摘。「家族介護であっても、行政や医療の専門家が加わり、客観的な判断ができる状態になっていることが望ましい」と強調する。また、介護現場に詳しい保健師(42)は「長い間介護するうちに、慣れから体調の変化を見逃してしまうこともある」という。

 公判では、被告が親族だけでなく、周囲の住民にも妻の体調について詳しく話しておらず、“孤立”していた様子がうかがえた。

 白井教授は「行政にとっては、窓口にどうやって相談してもらうか、また家庭内で起こっている出来事をいかにキャッチするかが最大の課題。糸口がつかめさえすれば、現行制度の中でも、様々な支援メニューが用意できるはず」ともいう。

 「介護」は、誰もが直面する可能性のあるテーマであり、私も自分自身の問題として考えた。どうすれば、被告の家族に支援の手は届いたのだろうか。餓死という結末を避けるために、誰に、何ができたのだろうか。

 第3回公判は15日、地裁堺支部で開かれ、被告人質問が行われる。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news001.htm