記事登録
2007年03月11日(日) 00時00分

「仮埋葬地」 風化を写す30歳読売新聞

女性写真家奔走中

東京大空襲の大法要で、遺族に声をかけながら写真を撮る広瀬さん(10日午前、都慰霊堂で)
 約10万人が亡くなった東京大空襲の犠牲者が、一時埋葬されていた都内各地の「仮埋葬地」の跡を、30歳の女性カメラマンが撮り続けている。今や普通の公園や寺院などが多く、その過去を示す碑や表示板はほとんどない。「平和な公園が実は悲惨な状況にあった。今の写真を通して、逆に風化を防ぐメッセージにしたい」。約3年にわたって撮りためた作品で将来は個展を開くつもりだ。(野口博文)

 このカメラマンは、広瀬美紀さん(川崎市多摩区)。2003年に弟を白血病で失い、「人間いつ死ぬかわからない。好きな道を進むべき」と写真専門学校に。命をテーマにしようと、墨田区の「東京空襲犠牲者遺族会」でもらった仮埋葬地のリストから、「最初は軽い気持ち」で回り始めた。

 仮埋葬地は、下町地区の公園や寺院などで、一時的に遺体が次々と埋められた。1948年から、都が遺骨を発掘して火葬し、都慰霊堂(墨田区)に納骨された。だが、足を運んでみると、1万人以上が埋葬されたという同区の錦糸公園はテニスコートに、江東区の猿江恩賜公園はグラウンドになっていた。

 「碑はほとんどなく、場所がわからないことも多い。悲惨な遺体が埋められていたとは想像もできなかった」。地図を手に回るうちに、「もう跡形もないのが現実。それを伝えよう」と考えた。学校の行事などを撮る仕事の合間に、約90か所あった仮埋葬地のうち、これまでに約80か所を撮った。

 仮埋葬地や被害実態を知るため、約20人の被災者も訪ねた。このうちの1人に、浅草地区で母と3人の兄弟を亡くし、毎週末に北区の自宅近くの寺を掃除しているという女性(80)がいる。

 “あの日”以来、みな行方不明となり遺骨はない。「どこで亡くなったのか、それすら分からない。せめてもの供養にと、気持ちを慰めています」。夕日や花火が嫌いという。「火の粉が空を走った、あの夜を思い出すから」と静かに語る。

 広瀬さんは、この女性が境内でほうきを手にする姿を写真に収めた。女性は「62年も前のことを忘れる人がいるのに……。若いのに偉いなと思います」と話した。

    ◇

 62年を迎えた10日、広瀬さんは、都慰霊堂で営まれた大法要でもカメラを構えていた。焼香に訪れた人の多くはお年寄りだ。若い世代が語り継ぐことの大事さを感じた。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news002.htm