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2007年03月10日(土) 00時00分

会議「ガス抜き」の場朝日新聞

 練馬区の西武線・上石神井駅前に6日夕、黄色いタスキを掛けた約10人の男女が立った。東京外郭環状道路(外環道)練馬—世田谷間に計画されている、青梅街道インターチェンジに反対する署名を集める元関町一丁目町会の住民たちだ。

 外環道は地下40メートルより深い場所を通る計画だが、地上にインターができると町会の約130戸が移転することになる。換気所もでき大気汚染の不安もある。

 署名活動を始めて1年余り。事務局役の川原成雄さん(41)は「まだ計画を知らない人もたくさんいる」と話す。

 川原さんが生まれて間もない41年前の66年3月、高架式による外環道の計画が明らかになった。このときは、沿線7区市すべてに反対組織が生まれ、わずか2カ月後には、それらが連携して外環道路反対連盟が結成された。

 都の都市計画審議会の会場にバスを仕立てて乗り込み、国会で質問が出ると聞くと傍聴に行った。当時から運動に参加した同町会会長の須山直哉さん(81)の手帳には、今もお守りのように、41年前の衆院建設委員会の傍聴券が挟んである。

 このとき「民意」は届いた。70年10月、当時の建設相が「地元と話し合う条件が整うまでは強行すべきでない」と計画の凍結を宣言したのだ。

 計画が再び動き出したのは、29年後の99年。初当選した石原慎太郎都知事が「地下方式」を打ち出してからだ。

 反対連盟の幹部は「地下方式は、40年余り続けてきた運動の成果だ」と話す。一方で、インターなどの地上施設ができる地域とそれ以外とで運動が分断された面もある。

 今度は民意を受け止める「仕組み」もできた。

 国と都は「原点に立ち戻って話し合いの場を設ける」として、行政と住民による「PI外環沿線協議会」を作った。PIはパブリックインボルブメント(住民参画)の略で、欧米で広がった、公共事業に一般の意見を広く採り入れるための手法だ。

 02年に発足した協議会には須山さんをはじめ、反対連盟からも7人が加わり、2年半で42回の会議が開かれた。

 「しかし」と須山さんは言う。「結局、ガス抜きの場だった。PIをやる一方で、計画は進んでしまった」

 03年7月の協議会では、都が環境影響評価の準備手続きに入ったことに抗議して、反対連盟の7人が退席。2カ月余り協議会が中断した。

 だが、環境影響評価の手続きは進められた。今月16日には、評価書とともに、凍結されていた高架式の計画を地下式に変更する案が、都の都市計画審議会にかけられる。

 地元の練馬区は、深刻な渋滞の解消などを理由に、外環道全体にも、青梅街道インターにも一貫して賛成している。

 須山さんは、4月の区長選と区議選で、青梅街道インターの建設に反対する候補を応援しようと考えている。「区長、区議会を変えるのが、インター阻止への早道だ」と思うからだ。

 再選をめざす区長の志村豊志郎さんは、2月の区議会で「外環道の早期整備に全力で取り組む」と改めて表明した。対立して区長選に立つ元衆院議員の鮫島宗明さんは「外環道の必要性は認めるが、青梅街道インターはいらない」とする。外環道反対の立場の共産党も候補を立てる構えだ。

 元関町一丁目町会は21日、区内で青梅街道インター建設に反対する集会を開く。鮫島さんや、何人かの区議選立候補予定者も出席する予定だ。(松村康史)

http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000000703120001