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2007年03月10日(土) 00時00分

<東京カフェ>せめて、できること 東京新聞

 したまち。東京にあって、独特の温かな響きの呼び名を持つ街並み。六十二年前の今日の東京大空襲の痕跡を今、見つけることは容易ではない。それでも、想像したり、伝えたりはできるし、そうしなくては、と思う。新聞記者としてこれまで伺うことができた、血のにじむような証言に助けられながら。

 戦後六十年を迎えた二年前、広島に原爆を投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の同行機に搭乗していた米科学者と、広島の被爆者との対談を取材した時のこと。原爆投下の正当性を強調する米科学者と、「せめてひとこと、謝罪の言葉を」という被爆者の主張は平行線で、ホテルの一室は一触即発の雰囲気だった。そんな中、米科学者がいらいらした口調で言った。「なぜ皆、原爆投下ばかりを責めるのか。東京の空襲のことは言わないのに」。思わず、記者の立場を忘れて「そんなことはないから」と発言しそうになった。同時に、「東京大空襲はきちんと伝えられていない」と恥じ入った。

 東京大空襲の六十二年を経ての提訴。街並みは復興しても、心の中で消えることがなかった犠牲者らの無念に、あらためて思いをはせる。 (増田恵美子)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20070310/lcl_____tko_____005.shtml