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2007年03月08日(木) 00時00分

『卒業』浅野氏の都知事選挑戦 東京新聞

 「知事は卒業する」という言葉を残して三期十二年務めた宮城県知事を勇退した浅野史郎氏(59)が、今月二十二日告示の東京都知事選に名乗りを上げた。戦後、同じ人物が二つ以上の都道府県知事になった例はないが、他県の知事経験は首都の知事にも通用するのか。首長の人材不足が指摘される中、浅野氏の出馬は、知事“請負人”時代の幕開けとなるか。

 「東京は一自治体とは違う。日本そのものだ。田舎の知事の経験を積んでやるメリットはあるというアドバイスも頂いた。今、荒れんとしているのは、東京ではなく、日本だ。政治への無力感を訴える悲痛な声が東京だけでなく、全国から寄せられている。なぜ宮城の人が出るのかと問われれば、私は日本人だからだ」

 浅野氏は六日の記者会見で、「知事業は卒業」と言いながら都知事を目指す理由を尋ねられ、こう強調した。宮城県知事を勇退したのは二〇〇五年十一月。当時の記者会見では「知事は一回やればいいんじゃないか」とも発言していた。

 退任後は知事在任中に兼職していた県社会福祉協議会会長にとどまり、「ライフワーク」の障害者福祉に取り組んだ。また、東北大客員教授、慶応大教授にも就任し、地方自治分野で言論活動を続けた。この間、約一年半。今度は都知事への転身を決断した。

 本紙の集計では、一九四七年に地方自治法が施行され、知事が普通選挙で選ばれるようになって以降、知事経験者が別の都道府県知事になったことはない。都選管によれば、六三年四月の知事選に前兵庫県知事の阪本勝氏(故人)が立候補し、落選したことはある。今回、浅野氏が当選すれば、複数の都道府県知事を務める初めてのケースになる。

 浅野氏の異例の挑戦に対し、地元・宮城県では、期待と批判が交錯している。

 浅野氏の選対幹部だった特定非営利活動法人(NPO法人)「チャレンジドネットワークみやぎ」の佐藤豊副理事長は「浅野氏が『福祉に専念したい』と知事を勇退したのは、宮城のことだけではなく、弱者の生きやすい社会づくり、社会改革、国の改革につなげたいという理念からだ。(都知事選出馬とは)矛盾しない」と転身に賛意を示す。

 その上で「都知事は一知事ではない。彼の福祉づくりのノウハウ、能力が全国規模で発揮されることは、福祉関係者に歓迎されることだ。都知事の立場で社会改革を進め、日本改革の一歩として期待したい」と話す。民主党県連選対委員長の内海太県議も「東京は一自治体ではなく、全国の手本となる。地方分権も大きく推進されるのではないか」と期待を寄せる。

 一方、浅野氏の後継候補との激戦を制して就任した村井嘉浩知事は「前知事が都民になるのは非常に寂しい」。浅野氏が立候補に伴い県社会福祉協議会会長を退くことについても、「宮城の福祉をどうするのか。何の話もなく納得できない部分もある」と批判する。

 浅野県政下で野党だった自民党県連幹事長の中村功県議は「いま宮城は、財政難など浅野氏が残した負の遺産で苦労している」と指摘。続けてこう言い放った。「これだけむちゃくちゃにして、浮かれて都知事をやりますというのは県民をばかにしている。そんなに知事がやりたいなら宮城でやればいい」

 一方、今回の浅野氏の出馬自体については、識者の評価はおおむね好意的だ。

 「石原都政への批判票の広範な受け皿ができた。都政活性化のためにもよい状況ができた」と位置づけるのは、千葉大学の新藤宗幸教授(行政学)だ。

 都職員の経験がある中央大学の佐々木信夫教授(地方自治論)も「統一地方選の核である都知事選に花を添えた」と歓迎しながらも「都知事選では過去、現職が敗れたケースはない。それに並はずれた知名度の高さが求められる。そうしたハードルの高さから対立候補探しは難航しがちだ」と歴史を振り返る。

 ところで、浅野氏が宮城県知事を三期十二年務めた行政手腕をどうみるか。

 新藤氏は「何と言っても情報公開。県警本部とケンカした首長も彼だけだ。宮城県では女性の幹部登用も初めてで、風通しがよくなった。福祉でも収容型から地域に開いた方向へ大胆に転換した」と高く評価。

 また、地元では財政面で借金を増やしたという批判についても、新藤氏は「民間と違い、行政では借金の多寡が問題ではない。何に使われたかが問題だ」と反論する。が、佐々木氏は「(厚生)官僚出身の彼は情報公開の徹底が改革につながることを熟知していた。だが、財政危機については『人気取りのため』という地元の声は無視できない」と慎重な見方をする。

 さらに佐々木氏は石原、浅野両氏の政治手法が「対極」ではないとみる。「石原さんが独裁型というのは分かる。では、浅野氏はというと、選挙では市民型だが、県庁では『浅野天皇』という呼び名もあった。つまり、自分の判断最優先で職員とは距離があった」

 同じ知事とはいえ、宮城と東京では人口の規模も違う。浅野氏の知事経験は東京でも通用するのか。

 新藤氏は「局長も意思決定にかかわれないという現在の都に風穴を開けるという点では、宮城での実績からも期待できる」とみる。

 一方、佐々木氏は“違い”をこう説明する。「東京には国を動かす経済人も多いので、情報公開だけで通用するかどうか。小泉(首相)・石原知事時代の反動で福祉、生活への関心が高まっているが『世界の東京』ゆえ、インフラなどで大きな構想力が求められる」

 浅野氏が当選すれば、二つ以上の知事を務める初めての知事誕生となるが、都知事選では六三年の阪本氏に加え、九一年には元熊本県知事(後に首相)の細川護熙氏が出馬を検討して断念した例もあった。

 新藤氏は「戦前の官選知事が戦後、公選で務めた例もあり、特段問題はないだろう。一九六〇年代までよく見かけた名誉職的な『上がり双六(すごろく)』の知事の方が問題だった」と指摘する。

 県知事時代に浅野氏と親しかった佐々木氏も、原則問題はないとするが「知事には定年があると語っていた彼の心の中に再び権力のいすに座りたいという気持ちがあれば、それは『多選知事』と同じ。それがなければよいが」と心配する。

 確かに知事から知事の誕生はまだないが、市長から知事という例は愛知、三重、栃木県などの現職をみても珍しくはない。

 背景には、行政経験者以外からのなり手不足も指摘される。特に、地方では深刻だが、新藤氏は「政党の出す候補がいないだけ。無党派層が増え、既存の集票マシンが働かず、当選後に政党の介入を避けたいと考えれば、当然。しかし、首長をやりたい人は少なくないはず」とみる。

 佐々木氏は「人材不足はある」と分析。その上で「経済人には、現行の選挙システムはリスクが大きすぎる。県議が市長、国会議員が知事という流れはフレッシュさに欠ける。好況時代の学者知事が、不景気で行政手腕のある中央官僚に取って代わられ、その官僚もいまや使い捨て。その中で首長から首長の流れも生まれている」と説明し、今回の都知事選のもう一つの注目点をこう語った。

 「知事という一種の『職人』が今後、世の中に存在できるのか否か。今回の浅野さんの挑戦は、そんな未来を占う実験ともいえる」

<デスクメモ> 統一地方選を前に、鳥取県知事の片山善博氏ら「改革派知事」と呼ばれる知事の引退表明が相次いだ。年齢もやっと五十歳代半ば。現職時代に何度も取材しただけに、寂しい気持ちもあるが、新天地で頑張ってほしい。その新天地がいつの日か別の現場であってもいいと思う。浅野氏の挑戦に注目したい。 (吉)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070308/mng_____tokuho__000.shtml