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2007年03月03日(土) 00時00分

作家・溝口敦さん 暴力に泣き寝入りせず 東京新聞

 「私の仕事とは何の関係もない息子が襲われ、息子には申し訳ないという気持ちです。同時にやられっぱなしで泣き寝入りするもんか、という思いもありました」

 月刊誌に書いた暴力団の記事をめぐり、昨年一月、長男(34)が通勤途中に尻を刺されたノンフィクション作家の溝口敦さん(64)。溝口さん親子は今年一月、犯人の山口組系元組員三人に加え、上部団体の山健組組長ら二人を民事で訴えた。暴力団との法廷闘争が近く始まる。

 訴訟の目的は組幹部の責任追及だ。「実行犯が上の指示を供述しない限り、上の者は捕まらない。だから、同じような事件が何度も起きる」

 溝口さん自身も十七年前、山口組を克明に追った本を出版した直後、見知らぬ男に背中を深さ十センチまで刺され、危うく命を落としかけた。大騒ぎになったが、犯人は捕まらなかった。それでも「口をつぐめば相手の狙い通りになる」と、以後も書き続けてきた。

 不気味で卑劣な暴力に屈しない強い精神力はどのようにして培われたのか。そこには溝口さんが反抗し続けた父の影響があったという。

 溝口さんは戦時中、東京・浅草に生まれた。東京大空襲で焼け出され、一家は川崎市に転居。幼いころは姉の隣に寝そべって雑誌を読み聞かせてもらうのが好きだった。小学生の時は歴史物やトルストイなどを読みふけった。中学、高校と柔道に励む一方、高校では文芸部にも所属し、仲間と本を作った。「文字が好きで、高校を卒業したら植字工になりたかった」

 父親は映画の小道具や陶器を作る職人だった。家の庭には窯があり、弟子もいた。そんな父の思い出は「威張り屋で怠け者で女好き」。父は溝口さんが大学に進んでからは仕事を終えると愛人宅に帰るようになった。

 「おやじの生き様が大嫌いで、盾突いてばかりいるうちに鼻っ柱が強くなった。反面教師みたいなもんです」

 溝口さんが二十九歳の時、父は愛人の元で亡くなった。「涙は出なかった。憎しみもあったし、哀れみもあった」。だが、父を失ってから、自分は父に似ている部分があると感じ始めた。「小説を無我夢中で読んだり、柔道が好きだったり…」。父への憎しみは次第に薄れていった。

 自身の気の強さを「かんしゃく持ちで、かっとなると何をするか分からない」。そう言って溝口さんは笑うが、十七年前、男に刺される直前のこと、以前に取材した山口組の有力幹部から自宅に電話があった。

 「出版をやめてくれ。印税分は払う」。買収しようとしたことに頭にきた。「何を言ってるんだ。そんなことしたらおれのライター生命はなくなる。話にならない!」。受話器をたたきつけた。

 暴力団や裏社会を中心テーマに、ほかに宗教、人物、サラリーマン、科学、性、小説と幅広い著書は五十冊を超える。

 妻から「年なんだから物騒なことは、もうやめた方がいい」と言われると「おれもやらないようにしたい」と答える。だが、そうならない理由がある。

 「実像が知られていない人間がいる。そのことが不気味さになって権力につながっていく。人間が持つ事実を日にさらして、不気味さをぶっ壊したいという衝動が、どうしてもあるんです」

  (杉谷剛)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070303/eve_____sya_____001.shtml