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2007年03月02日(金) 00時00分

柳川・御嵩町長引退 「知事の公正さ信頼」朝日新聞

 「一番大きいのは知事の交代。今の古田肇知事の公正なやり方を全面的に信頼している」。4月の町長選に立候補しない考えを表明した御嵩町の柳川喜郎町長(74)は、引退の理由について、古田知事が処分場を建設させない方向で問題の決着を図るとの期待が得られた点を挙げた。「12年間の時間とエネルギーの3分の2が産廃問題に費やされた。非常に残念なことで、産廃問題がなければ3倍は仕事ができた」と振り返った。
 柳川町長はこの日、母校の県立東濃高の卒業式に出席した後、礼服姿で町役場内の記者会見場に姿を見せた。「私は今期限りで引退します。従って来月の選挙には出馬致しません」。約40人の報道陣が注視する中、淡々と語り始めた。
 「長期政権は停滞、腐敗する」「もともとショート・リリーフのつもりだった」など5項目の引退理由を個条書きした紙を配り、1時間近く語ったり質問に答えたりした。最も時間を割いたのは産廃問題だった。
 問題が決着していないのは「申請者の寿和工業と許可権者の県との間の問題」と強調。これまでの古田知事との会談などを通じ、「この考えは知事と共有できていると思う」と述べた。逆に、対立が続いた梶原拓前知事に対しては「処分場建設に異常な肩入れをしていた。トップが代わるとここまで変わるのかと思う」と改めて強く批判した。
 また、「あらゆる角度から見て、あの場所に処分場を造ることは不可能だと思う」と話し、現地のあるべき姿として「水源涵養(かん・よう)林」を挙げた。
 4月の同町長選をめぐっては、すでに複数、立候補に向けた動きがある。こうした中、後継者の指名について問われると、「有権者に対して失礼千万なことで、する気はないし、してはいけない」。「名乗りを上げた人の中から、『この人なら』という人を全面応援したい」と話した。
 「もともと1期やって町に勢いをつけて辞めるつもりだった。不条理や理不尽なことを見過ごすことができないたちで、つい深みにはまっちゃった。政治家向きじゃないし、生涯一記者であった方がよかったかも知れない」と本音を漏らした。

  【御嵩町の産廃処分場問題をめぐる動き】
 91年 8月   寿和工業(可児市)が平井儀男町長(当時)に建設計画
          を伝える。
     9月   建設予定地の小和沢地区の10戸が寿和工業と移転補償で
          合意。
 92年10月   寿和工業が処分場の許可申請を県に提出。町は「不適当」
          とする意見書を出す。
 93年 6月   町議会が処分場建設反対の請願を趣旨採択。
 94年 6月   町議会の特別委員会が「基本的に反対」としながらも、
         「町が処分場に前向きならば、安全に万全を期すべきだ」
          と報告。
    11月   町が県に対し、「公害防止の徹底」や「福祉の里構想」
          などへの支援を条件に、「前向きの姿勢をとることにした」
          と容認に転じる要望書を提出。
 95年 2月   町が「振興協力金」などの名目で15年間で総額35億円を
          寿和工業から受け取る協定書を締結。町は県に「事業について
          はやむを得ないと考える」との意見書を提出。
          町は明確に容認を打ち出す。
     4月   柳川喜郎氏が町長に初当選。
     9月   柳川町長が「水源地の保全や地元支援策などでいくつかの疑問
          がある」として、県に許可手続きの凍結を要望。
 96年10月   柳川町長が2人組の男に襲われ、重傷を負う。
    11月   町民の有志が処分場の是非を問う住民投票条例の制定を求め、
          1169人の署名を町に提出。
    12月   柳川氏が退院。「疑問や懸念が解消しない限り、計画に同意
          できない」との姿勢を表明。町議会が「現段階では計画反対」
          とする決議案を可決。
 97年 1月   町議会が住民投票条例案を可決。
     5月   県が「調整試案」を町と寿和工業に提示。「県が事業主体に
          加わり、安全責任を持つ」との内容。
     同    寿和工業が町と柳川町長を相手取り、3億円の損害賠償などを
          求める訴えを岐阜地裁に起こす。
     6月   産廃処分場建設の是非を問う全国で初の住民投票。
          投票率87・50%。建設反対1万373票、賛成2442票。
     7月   柳川町長が県に「住民投票の結果を尊重する」との文書を提出。
     8月   県が町に対し、都市計画法32条の同意・不同意の意思表示を
          文書で求める。
 00年 3月   寿和工業が訴えをすべて取り下げる。
     6月   県が再度、町に公式の意思表示を求める。
 05年 2月   古田肇知事が就任。
     4月   古田知事と柳川町長が初の会談。
 07年2月19日 古田知事と柳川町長が県庁で会談。処分場の建設問題で
          「膠着(こうちゃく)状態が続くのは良くない」との認識で
          一致。
      23日 古田知事と寿和工業の清水道雄社長が初めて会談。
          清水社長は「解決のため、関係者で前提条件なしで
          話し合いたい」と提案。

http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000000703020003