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2007年03月02日(金) 00時00分

「反戦」住民運動つづる朝日新聞

 福岡市南区在住の小澤民子さん(79)が、住民運動にかかわり続けた半生をまとめた「おさんどん奮戦記」(海鳥社、税抜き1600円)を刊行した。思いの原点は「二度と戦争は嫌だ」。平和運動や反原発、生協活動など、主婦として「おさんどん」(台所仕事)の合間を縫って駆け回ってきた。一人の女性の目を通した戦中・戦後史の記録にもなっている。今月31日に傘寿を迎える小澤さんは、今でも集会やビラ配りに行く。(神谷裕司)

 04年に67歳で亡くなった作家、松下竜一さんが発行していた「草の根通信」に83年5月〜04年6月、隔月連載していたエッセーをまとめた。

 小澤さんは東京で生まれ、長野県で育った。父親は、ドイツ人スパイに機密を流したとして戦時中に処刑された尾崎秀実(ほつ・み)の友人だった。若かりし小澤さんは尾崎からアイスクリームをもらったこともあった。父親は戦争反対の思想を会合で語り、投獄されたという。

 戦時中の44年、一家で中国に渡った。そこで夫と知り合って気持ちが通い合い、敗戦後に結婚した。「戦争で父は大変な目にあった。夫も兵隊に取られた。戦争はみんなを不幸にする」

 戦後、夫の郷里の福岡市に移り住み、二人の息子を育てた。40歳の頃から住民運動の現場に顔を出すようになった。

 水俣病裁判や従軍慰安婦の支援集会などに行き、安全な食べ物を求めて生協の設立にもかかわった。本には、そうした活動を詳細に記録したほか、読書の感想や自己流健康法なども記した。

 大分県中津市に住んで社会問題に挑み続けた松下さんは小澤さんを時に励まし、時に叱咤(しっ・た)した。

 「社会的問題に旺盛な好奇心(関心)を抱いて、自分からかかわっていかれることに、感心しています」「人名や地名は、なによりも正確を期さないと、文章自体の信用が失われます」。小澤さんの手元には、こうした松下さんからの手紙が何通も残っている。

 夫は96年に79歳で亡くなった。ペンネームは旧姓の「小澤」を使ったが、住民運動は夫の姓の本名「八坂」で行った。間もなく80歳。「だんだんきな臭い時代になっている。若い人たちはもっと社会問題に関心を持ってほしい」と訴える。

http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000000703020003