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2007年02月25日(日) 00時00分

「眠る子守る」闇夜の爆弾処理で殉職朝日新聞

 04年11月、英国で撮影された1枚の写真がある。イラク内務省爆発物処理班「バグダッド・ホークチーム」のイラク人訓練生18人だ。カナダの専門会社による36日間の訓練を終えた卒業生たちは、祖国復興への期待に満ちた表情で写っている。07年2月の今、この中で生き残っている者は、5人しかいない。

 10人目の殉職者となったアリ・ハミード(34)は昨年12月13日、爆弾処理に失敗した。近所でTNT火薬と迫撃砲弾を満載した自動車爆弾が見つかったとの知らせを受け、バグダッドのスラム街サドルシティーの自宅から駆けつけた。サドルシティーではシーア派住民を狙った、スンニ派武装勢力のテロが頻発していた。

 朝日新聞のイラク人助手の取材に応じた弟のフセイン(30)によると、アリはその日、風邪をこじらせ、自宅で、珍しく3日も床に伏していたという。

 寒い夜だった。午後11時過ぎ、現場ではすでに警官が迫撃砲弾を車から取り除いていた。

 起爆装置の解除は、専門家のアリの仕事だ。が、停電で辺りは真っ暗闇。かじかむ手による作業では手元が狂いかねない。現場にいた警官らは「手っ取り早くて安全な爆破処理を」と勧めた。 しかし、アリは言った。

 「この時間だ。爆破処理すれば、近所の子供たちを爆音で起こしてしまう。怖がらせてしまう」

 爆弾の音は大人でも恐ろしい。何度聞いても慣れることはない。爆発のたびに心臓は高鳴り、身震いがする。まして子供への精神的な負担は計り知れない。

 子供好きで知られたアリにはそれが一番、心配だったのだろう。アリは1人で車に向かい、起爆装置の解除を始めた。その直後、爆死した。

 ホークチームの隊長サブリによると、アリはチーム一の実績を上げていた。殉職までに処理したのは、仕掛け爆弾385発、自動車爆弾152台。1日に8台の自動車爆弾を解除した記録は、誰にも破られていない。

 13歳を頭に5歳まで、女1人、男3人の子供の父親だった。テコンドーの名手だった。カンフー映画をまねていつも子供たちを喜ばせ、「アリ・ブルース・リー」と親しまれた。

 「あの人には、子供が人生のすべてだった」

 妻(33)は言った。子供が病気になると、アリは情けないくらい慌てた。食欲を失い、時には自分が心労で体調を崩した。

 近所の菓子店には「うちの子には何でも好きなものを与えてくれ。代金はあとで、おれが払う」と頼んでいた。いつ子供たちに会えなくなるかもしれない。そんな覚悟から、子供を思いきり甘えさせたかったのか。

 最盛期の04年、ホークチームには58人の仲間がいた。しかし爆弾テロが急増する中で、アリたち25人が殉職。これ以上の危険に耐えられないと、9人が職を辞し、14人が他の部署を希望して異動した。今、処理班に残るのはわずか10人だ。

 弟のフセインは何度も、仕事を辞めるか、せめて他の部署へ異動するよう頼んだ。しかし、そのたびにアリは怒った。

 「お前たちは、おれを、自分の生活だけ考えて、他人を顧みない臆病(おくびょう)者にするつもりか」

 アリは家族の心配も常に肝に銘じていた。爆弾処理に成功するたび、必ず、律義に父親と妻に電話で無事を連絡してきた。毎回、こう言って誇らしげだったという。

 「おれたちが、みんなの命を救ったぞ」

http://mytown.asahi.com/usa/news.php?k_id=49000000702240012