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2007年02月25日(日) 10時32分

創業期トヨタ、幻の航空機計画 長老・豊田英二氏が証言朝日新聞

 トヨタ自動車が1930年代の創業期に航空機の開発計画を具体的に進めていたことが24日、名古屋市内で開催されたシンポジウムで明らかにされた。創業者の豊田喜一郎が、改造した複葉機に試作品のプロペラを着け、いとこである現最高顧問の豊田英二氏(93)らに試験飛行させていたほか、内密に着手したヘリコプター研究も浮力試験まで進んでいたことが初めてわかったという。

 シンポジウムは中部産業遺産研究会が主催し、「中部の飛行機づくり」と題して開かれた。会員の天野武弘・豊橋工業高校教諭(60)が書いた論文「豊田喜一郎の航空機研究とその遺産」を読んだ英二氏が、2月上旬に天野さんを招くかたちで面会して話をした。天野教諭は論文をまとめ直し、シンポジウムの報告資料集に収録した。

 英二氏はすでに一線を退いて公の場に出ることはなく、貴重な証言内容という。

 天野教諭によると、喜一郎は1936年にはフランスから購入した軽飛行機を東京・羽田で飛ばし、空への夢を温めていた。英二氏はこの軽飛行機のエンジンを解体してスケッチ。組み立て直して飛ばしたという。

 次の試験機は海軍から払い下げられた複葉の一三式練習機。英二氏は「小幡飛行場から衣が原飛行場まで、(試作した木製の)新しいプロペラを着けて乗った」という。小幡飛行場は名古屋市内の軍の飛行場。衣が原飛行場は今のトヨタ自動車元町工場の敷地にあった。試作したプロペラで実際に飛行した様子が明かされたのは初めてという。

 同じ敷地内にあった「航研室」には「試作工場」も併設されていた。研究の主眼だったのはヘリコプター。「ヘリコプターの名前さえなかった時代だが、ローターを作って回し、どれくらいの浮力が生じるかを試験した」と英二氏は説明したという。

 研究は秘密だったため、部屋の名前は「こうき」と称した。漢字をあてれば「航機」だが、関係者以外には「工機」と思わせる配慮だったという。

 論文は、37年創立のトヨタ自動車工業が、初の量産乗用車「トヨダAA型」の生産を進めていた時期に、並行して航空機研究にも挑んでいた点を指摘。しかし航空機研究は、戦時体制が強まったため、軍用トラックや、他社が設計した航空エンジンなどの量産に追われて中断に追い込まれた。

 英二氏からの聞き取り内容について、国立科学博物館の鈴木一義主任研究官は「トヨタの航空機研究の詳細が聞けたのは初めて。貴重な話が多く、研究が進む契機になりそうだ」と評価している。

http://www.asahi.com/business/update/0225/003.html