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2007年02月24日(土) 14時55分

格差を問う 「鉄」縮小後もがく釜石朝日新聞

 2月定例県議会初日の16日。最後の所信表明で、増田知事は、自らの3期12年を振り返った。

 この間は、日本経済が揺らいだ「失われた10年」と重なる。

 増田知事は「企業の倒産や撤退など低迷が続いたが、持ち直し基調にある」と岩手の置かれた状況を総括した。

 そして、自動車産業振興の成果を強調し、「出荷額と雇用は着実に伸びている」と胸を張った。

 県南部の金ケ崎町。トヨタ自動車系の関東自動車工業岩手工場は、自動車産業振興の中核だ。

 小型車3車種が年30万台生産され、07年度からは36万台に増産される。増田知事は「年50万台規模への拡大を」と期待を寄せる。

 今や「車」一色となった県の産業振興。だが、かつて県内有数の製造業といえば、釜石市の製鉄だった。その釜石はいまだに、「鉄」縮小後の産業振興にもがく。

 新日鉄釜石製鉄所の全盛期、釜石市街は「不夜城」に例えられた。それが89年に高炉の火が消えると、9万人を超えた人口は半分以下の4万2929人(1月末時点)に落ち込んでいる。

 高炉停止を挟む86年からの15年間、市内の従業員数は2万6493人から2万1602人に激減。合理化の波で5千人近い雇用が失われた。

 「目に見えて廃れていく。喪失感といったら……」。元助役の森真一郎さん(82)が振り返る。

 市は80年代から、製鉄所依存からの脱却を図り、企業誘致による生き残り策を探ってきた。

 現在、期待を集めているのは、空気圧機器製造大手のSMC(東京都)の設備拡張だ。当初200人だった従業員は現在1200人。新たに5番目の工場建設も決まり、「新規の従業員は千人規模。若者の定着になる」と小沢和夫市長は話す。

 だが、巨大だった新日鉄の穴を埋めるのは容易ではない。80年代以降に誘致した25社のうち、現在残るのは13社だ。

 総務省の統計によると、01〜04年の4年間で市内の事業所数は7.2%、従業員数は10.6%減った。県全体のそれぞれ4.2%減、5.8%減を大きく上回り、県内全市で最大の減少幅だ。

 2月19日、市内で開かれた就職説明会には19社の企業が参加した。だが、訪れた求職者は約30人で前年から半減した。

 説明会の参加企業は「毎年ほとんど同じ」(主催者)。一般職志望の20代女性は「なかなか希望に合う求人がない」と漏らした。

 模索を続ける釜石市は、「車」にも目を向け始めている。

 3月には、釜石市と内陸を結ぶ仙人峠道路が開通し、釜石港の公共埠頭(ふ・とう)拡張整備も完成する。

 関東自動車で生産された完成車は、大半が仙台港経由で出荷されているが、交通・港湾インフラの整備で、釜石港の活用拡大が期待されている。

 だが、自動車産業など、景気回復の波に乗った産業がない地域は将来どうなるのか。

 県は06年1月、県北・沿岸振興本部を設置し、県内の「格差」解消の対策にようやく本腰を入れ始めたところだ。

    ◇

 県の財政悪化、人口減少傾向には歯止めがかからず、県内でもその影響が直撃している地域もある。一方、全国的な景気回復基調の恩恵を受ける地域もある。表面化した地域間の「格差」。知事選の告示日まで1カ月を切った今、改めてその実態を、様々な地域、分野で探った。

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000000702240001