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2007年02月24日(土) 01時39分

2月24日付・編集手帳読売新聞

 夜道で風呂敷の荷を結び直していると、「おい、何をしている」、巡査に肩を押さえられた。永井荷風「東綺譚(ぼくとうきたん)」のひとこまである◆還暦も近い身で主人公はひじを小突かれつつ派出所に連行され、そこでも「おい」「おい」と尋問を受ける。遠い昔、警察官が口をひらけば「おい、こら」の時代があった◆元は薩摩弁であると、社会学者の加藤秀俊氏が「一年諸事雑記帳」(文春文庫)に書いている。明治初年に日本で初めて警察官3000人が東京府に配置された際、うち2000人を鹿児島で募集した◆以来、「ちょっと、もしもし」の意味合いで用いられる薩摩弁が警察の標準語になっていくという。言葉の本家だからといって何も、「おい、こら」時代の弾圧的気風を後生大事に守ることはあるまい◆4年前の鹿児島県議選で買収・被買収などの容疑で逮捕、起訴された12人の被告全員に、鹿児島地裁が無罪を言い渡した。警察の自白調書を、脅しと誘導による「作文」と認めたにも等しい判決である◆おまえの両親も、高校生の娘も、「(容疑を)認めんと、みんな逮捕すっど」。そう脅された被告もいるという。荷風の小説からすでに70年、いつの時代の出来事かと耳を疑う。「生きている化石」はシーラカンスだけでいい。化石のような捜査には絶滅あるのみだろう。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070223ig15.htm