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2007年02月24日(土) 10時59分

日米双方から硫黄島描いたドキュメンタリー再放送朝日新聞

 太平洋戦争末期の激戦、硫黄島の戦いから約33年後の77年11月に放送され、日米双方の元兵士や遺族らの証言を集めた朝日放送(ABC)のドキュメンタリー番組「遠い島〜硫黄島・その33年〜」が25日の深夜枠で30年ぶりに同局で再放送される。当時のディレクター原凉一さん(70)は「普通の人が殺し合う戦争のむなしさを伝えたかった。この放送で今の若い人たちに、戦争の真実が伝われば」と話す。

 放送批評懇談会の77年度ギャラクシー大賞受賞作品。硫黄島戦の生還者や遺族を訪ね、日本40カ所、米国17カ所で撮影した。効果音を使わず、20人余りの証言を淡々と積み重ねる。

 硫黄島の戦いは1945年2月19日の米軍上陸で始まった。日本軍は3月17日に栗林忠道中将が最後の突撃を行い、ほぼ全滅した。日本軍の死者は2万1900人、米軍の死傷者は2万8700人に上った。

 硫黄島の摺鉢山に米兵6人が星条旗を立てる「歴史的な写真」。昨年公開のクリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」で大きく取り上げられた。

 番組では、写真に写っていた米兵の一人で、帰国後に戦時国債の宣伝に駆り出され、英雄扱いされるうちに、アルコール依存症となって死亡した元兵士アイラ・ヘイズ元一等兵を紹介する。同じ生還者のギャグノン元一等兵が「えらい人に特別扱いされ、わけが分からなくなって酒におぼれていった」と証言。ヘイズさんの父も「とにかく酒を飲まされ、これで死ぬだろうと息子は言っていた」と語る。

 取材に応じた元兵士は複雑な心境を口々に語る。元米兵は陽気な表情を見せながらも「気が重くなる話はしない」と言い、元日本兵は「亡くなった方々に申し訳ない」と話す。一人息子を失った米国の女性は「これは戦争をなくすための戦争」と言って出征したわが子を思い出し、「彼の夢は実現しなかった」と静かに振り返る。

 番組で「忘れてしまっておりますから」と取材を断る場面がある原光明元大隊長(90年に死去)。養女の冨士子さん(47)は今、「父は最期まで硫黄島を語ろうとしなかった。ただ、戦争は悲惨だ、悲惨だと言い続けた。父はつらかったと思うが、後世に語り継がないと、戦争は風化していくと思い、今回の放送に同意した」と言う。

 遠い島は、朝日放送で26日午前1時10分〜2時28分に放送される。

http://www.asahi.com/culture/update/0224/008.html