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2007年02月23日(金) 00時00分

クジラ食文化再浮上の兆し朝日新聞

 ◇新料理次々 女性客増える

  ■専門店、グラタンやパスタ

 クジラ文化を再生させようという機運が広がっている。江戸時代から多くの捕鯨基地が置かれた長崎では日常的にクジラを食べる習慣があった。料理法も様々で、商業捕鯨が禁止された今も、県民1人あたりの消費量は全国一と言われている。クジラを使った地域振興を模索する動きも出ている。(岡田玄)

 長崎市築町の市場の一角にある「鯨専門店くらさき」。1階は鯨肉店、2階はクジラ料理の専門店になっている。
 竜田揚げやクジラカツ、クジラジャガなどの伝統料理に加えて、鯨肉を使ったグラタン、パスタ、オリーブ油いためなど新作メニューも出している。
 料理長の堀本保さん(46)は「クジラは脂っこいイメージがあるようだが、実際には低カロリー高たんぱくなヘルシーな食材。美容にもいいので、最近では若い女性客も増えています」という。
 鯨肉販売を専門にしていた「くらさき」が料理店を出したのは8カ月前。いまや貴重品になった鯨肉料理を安く提供し、多くの人にクジラの魅力を知ってもらうのが狙いだった。
 若い人も気軽に楽しめるようにと、ランチは650円。夜の料理も1品千円前後に抑えている。
 観光ガイドブックにも取り上げられ、観光客も多く訪れるようになった。店頭販売しているクジラカツは、お土産としても人気を集めているという。

 ◇地域活性化 県、活用探る

  ■カステラ・ちゃんぽんに続け

 県庁の会議室で13日、若手職員が知事に地域振興策を提案する集まりがあった。
 「サッカーで島原半島の活性化をはかる」「県の施設の命名権を売って歳入を確保する」……。そのなかで、長崎の鯨食文化を観光や地域振興に活用しようと提案したグループがあった。
 メンバーは水産、観光、土木など様々な部署の6人。リーダーの筒井竜介さんも、観光や水産とは無縁の県北福祉事務所職員だ。
 平戸市の生月島でクジラ料理を食べ、その魅力にとりつかれた。昨年6月、鯨食文化の勉強会をつくろうと県職員に呼びかけた。
 休日を利用して、捕鯨協会や鯨肉商から長崎のクジラの歴史を聞く一方、クジラの骨を鳥居にした新上五島町の「海童神社」など捕鯨にまつわる各地の史跡や資料を調べてきた。
 クジラのヒゲや歯を使った工芸品についても調査し、新製品づくりの可能性も探っている。
 民間旅行会社の福岡支店から、県観光振興推進本部に出向中の江藤公彦さんもメンバーの一人。江藤さんは、カステラ、ちゃんぽん、皿うどんに次ぐ第4の食のブランドになる可能性を感じているという。
 「長崎の人は自覚していないが、鯨食は他県にまねのできない、地域に根付いた本物の文化。観光では、本物は必ず売れる」

  ■「先進地」北海道・釧路の動き

 クジラ文化を生かした地域振興に取り組む先進地がある。北海道釧路市だ。
 05年度から、学校給食にクジラ料理を採り入れ、クジラを使った町おこしをテーマにしたシンポジウムも重ねている。
 かつて釧路市の経済を支えた炭鉱と水産はともに低迷。特に水産業では、最盛期の80年代後半に年間100万トンに上った水揚げ量が15万トンにまで落ち込んでいる。
 基幹産業の衰退は、水産加工や運送、倉庫などに波及。活気も失われていった。
 そんな中、市が目をつけたのがクジラ。04年から釧路市が沿岸域の調査捕鯨基地となったことがきっかけだった。

  民間で「ブランド研」新製品 全国に販売

 05年には市、漁協、魚市場と市商工会議所で「釧路くじら協議会」を設立し、クジラによる町おこしに本格的に取り組み始めた。
 行政の動きに民間も呼応。市内の水産加工会社が中心になって「くしろ鯨ブランド研究会」を結成し、新商品の開発を始めた。これまでにクジラバーガーやレトルトのクジラカレーなどの商品化に成功。クジラの姿をあしらったブランドマークで全国に売り出している。
 市内の料理店も、市の呼びかけに応じて、創作料理コンテストを開いている。
 釧路市水産課の山中雅裕水産担当専門員は「まだ3年目で、成果は目に見える形にはなっていないが、商店街が自主的に鯨祭りを企画するなど、徐々に動きは出始めている。クジラを通して、街が元気になれば」と話す。

 ◇年300トン個人消費は全国一

  ■「長崎の祝い事・祭りに不可欠」

 農林水産省によると、日本を含む71カ国が加盟する国際捕鯨委員会(IWC)で1986年、商業捕鯨が全面禁止されて以降、国内では調査捕鯨で捕獲されたクジラの肉が流通してきた。
 05年の流通量は5560トン。01年に比べると2倍以上に増えている。
 県によると、県内の年間消費量は推計300トンで、県民1人あたりでは全国一。各地で売れ残った鯨肉も流れてくるという。
 「終戦直後、市場をつくった時には、魚屋、八百屋、クジラ屋が必要と言われるほど、長崎にとってクジラは身近なものだった」。クジラ加工・水産卸会社の日野商店会長の日野浩二さん(76)はそう振り返る。
 現在の新上五島町や平戸市には江戸時代から捕鯨基地があった。東彼杵町には荷さばき場が置かれ、西日本の流通拠点になっていた。
 県内では、それぞれの地域に、独自のクジラ料理が生まれたが、鯨肉の流通量の減少とともに、その味も忘れられつつあるという。
 日野さんは一昨年、自分とクジラとのかかわりや長崎のクジラ文化をまとめた「鯨と生きる」を出版した。
 「長崎では、お祝い事でも、お祭りでも、クジラ料理はなくてはならない存在。地域の風習と結びついたクジラ文化を何とか後世に伝えていきたい」と、日野さんは話す。

 

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