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2007年02月15日(木) 00時00分

これがラスト!? 鈴木宗男、東京マラソンに参戦ZAKZAK

 「いやぁ、走り込みが足りんね。1カ月くらいしか走っていない。週に3回、10キロ。あと1時間は練習で走らないといけない。記録は関係なく、7時間以内にきっかりと時間以内に帰ってきたいね」

 都内のスポーツジムでマシンを使った約1時間の走り込みを終えた宗男氏。額には大粒の汗が光り息も絶え絶えの様子だったが、すぐに笑顔を取り戻しこう抱負を語った。

 宗男氏が東京マラソン出場を決意したのは「五輪招致という大きな目標につながる。少しでも世論喚起、啓発に貢献できれば」と考えたため。「10キロの部門があることを知らず」、フルマラソンに応募した。すでに抽せんを通過し、16日に正式エントリーする予定だ。

 県内を走り回って当選した宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事が「選挙運動は鈴木宗男さんをイメージした」と公言するように、宗男氏には「走る」イメージがある。実際、過去フルマラソンに7回出場し、1994年にはサロマで50キロも完走。96年のNAHAマラソン(沖縄)では初マラソンで3時間44分40秒のタイムをたたき出した。北海道・沖縄開発庁長官だった97年の大会ではSP付きで完走したことも。

 04年には「がんと戦った人たちに勇気を与えたい」と、胃がん摘出手術後4カ月でマラソン大会10キロ部門に出場、48分台、119人中13位という驚異的な成績を残している。

 しかし、フルマラソンからは10年間遠ざかっており、59歳という年齢から「最後のチャンス」と覚悟しているという。

 「人生はマラソンと一緒。苦しいしつらいし、同時に達成感もある。人生生きている限り戦いですから。私はいつも走りながら思っているんです、『選挙と比べたらラクだ』と。フルマラソンは最後にして、今後は5キロとか10キロで走っていきたい」

 ただ、妻の典子さん(58)は宗男氏の体を気遣い、これまでもマラソン大会への参加は反対してきた。だからいつも事後報告。その度に「バカタレ!」としかられるというが、今回もまだ出場を伝えていない。

 「これが最後のフルマラソンだから、ぜひともお許しを請いたい。心のなかでは土下座して頼んでいます。マラソン大会の趣旨を理解してもらって、50代最後のチャレンジということで理解をしてもらいたいと思います」 

ZAKZAK 2007/02/15

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_02/t2007021501.html