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2007年02月14日(水) 00時00分

田失われた地に『田遊び』伝え継ぐ 板橋の神事芸能奉納 悪疫を退散させる獅子舞=板橋区で 東京新聞

 板橋区の神事芸能「田遊び」が十一日夜に徳丸北野神社(徳丸六)、十三日夜に赤塚諏訪神社(大門)で行われた。国の重要無形民俗文化財指定三十周年を記念して、区は両会場で田遊びを紹介するパンフレットを配った。田んぼが姿を消してから文化財に指定されたことから、両地域の保存会も継承に苦労している。

 田遊びは稲作の季節を前に五穀豊穣(ほうじょう)を祈る「予祝(よしゅく)」の意味がある。種まきから収穫に至る稲作の一連の作業を、所作と唱え言葉で再現する点が珍しい。徳丸は千年以上、赤塚は少なくとも江戸時代にさかのぼる。一九七六年に両地域合わせて「板橋の田遊び」として文化財に指定された。

 赤塚諏訪神社では、みこしが天狗(てんぐ)とともに境内から数百メートル渡御。勇壮な太鼓に合わせ、花籠(かご)に破魔矢が向かい、厄を落とした。田んぼに見立てた約二メートル四方の「もがり」(竹製の柵)の中で言葉を唱えながら米作りを模倣。徳丸北野神社では、もがりの中でのみ神事が行われた。

 区内には現在、生産用の田んぼはない。徳丸北野神社田遊び保存会の石田彪会長(72)は、「田植えや稲刈りを見たこともない人には、ピンとこないよう」と、都市化した現代に稲作神事を維持する難しさを語る。

 会員不足や高齢化も課題。徳丸では、かつての農家の後継者に限っているが、みこし担ぎなど人手が必要な赤塚では、新住民も受け入れている。赤塚の保存会の本橋金蔵会長(73)は「文化財を残すために、できるだけのことをしたい」と話している。 (松村裕子)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20070214/lcl_____tko_____001.shtml