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2007年02月05日(月) 00時00分

日本人男性が体験告白 フィリピンで命もらった 東京新聞

 遅々として進まぬ日本の臓器移植。その現状を前に、海外に可能性を探す患者も少なくない。熊本県八代市の会社員稲葉洋一さん(39)は、悪質な仲介業者にだまされるなどの経験を乗り越えて、フィリピンに独力でルートを拓(ひら)き、二度の移植手術を受けた。稲葉さんが見たフィリピンの臓器移植の実情は。 (片山夏子)

 「ユーリネイション(排尿できたよ)」。フィリピン・マニラ市のマグサイサイ記念病院で、稲葉さんは看護師の女性の優しい声で目を覚ました。看護師が指さした袋の中に、何年も出なかった尿が見えた。初めは醤油(しょうゆ)のような色だったが、しばらくすると透明に変わっていった。「グッド」と言われて、思わず笑みがこぼれた。にやにやしてしまうのが抑えられなくて、布団をかぶって笑った。

 稲葉さんがフィリピンで念願の腎移植を受けたのは一九九七年十月十五日。日本で臓器移植法が施行される前日だった。

 小学校五年の時に尿検査で腎臓病が発覚。以後、塩分を控えるなど厳しい食事制限が始まった。大学では就職で健康をアピールするため自転車で日本縦断もした。ゲームメーカーを経て、ぬいぐるみデザイナーとして独立。だが九五年一月、高熱で病院に行くと「慢性腎不全です。すぐに透析を始めましょう」と宣告された。二十七歳だった。

 仕事で中国など海外へ行き来していた。だが、透析をしながらでは仕事が続かず、実家に戻った。当初は腹膜透析を選択。六時間ごとに自分で透析していたが、腹膜がだんだん厚くなると老廃物をろ過する効率が悪化する。一年半後には血液透析を始めた。

 週三回、毎回五時間。水分は一日六百ccまで。「血中のクレアチニンの値が高くなり、死ぬほどのどが渇く。レストレス・レッグス・シンドロームという症状になり、体の骨の髄からいてもたってもいられないほどかゆくなる。真っ赤になるまでたたいたり、足をばたばたしたり。眠れなくなった」と稲葉さん。

■家族は不適合 あきらめも…

 医者に「移植しかない」と宣告されたが、家族で適合者はいなかった。日本臓器移植ネットワークに登録しつつ、「当たるのは、宝くじより難しいと言われ、助からないとあきらめかけていた」。

 一九九六年十一月。新聞で「フィリピンでの腎臓移植を無償で!」という広告を目にし、すぐに大阪の連絡先に向かった。「無償分は決まってしまったが移植はできる」と雑居ビルで仲介業者の男に説明された。費用は総額千八百五十万円と言われた。「必死だった。親せき中を駆け回り費用を工面した」。翌年二月に男とフィリピンへ。手術をするという女医に会った。

 ところが、四月に手術をしに現地に行くと仲介業者がいない。帰国後、連絡をとっても「医者の都合が合わない」「ドナーが見つからない」と何度も逃げられた。おかしいという懸念が決定的になったのは八月。事務所は閉まり、男の行方が分からなくなった。

 警察に被害届を出す一方で、フィリピンで会った通訳や移植手術を受けたという牧師に連絡を取り、独力で移植手術を受けられないか相談。再び六百万円の費用をかき集めて、九月にマニラに。牧師に医師やドナー探しを手伝ってもらい、十月に手術にこぎ着けた。

■腎臓提供者に 70万円の謝礼

 ドナーは二十九歳男性。売血に来たところで牧師が臓器提供を打診すると応じたという。謝礼は三十五万ペソ(約七十万円)だった。

 「移植後、好きだったカヌーを再開した。階段を上がるのも苦しかったのに、うれしくて駆け上がった」と稲葉さんは振り返る。

 フィリピンで臓器移植手術を受ける人は年間六百人とも七百人ともいわれる。臓器売買を禁じる法律はない。保健省の臓器移植ガイドラインでは、臓器売買を認めていないが法的には拘束力がなく、貧困層や受刑者が臓器を売る。

 「一回腎臓を売れば、小さな雑貨店が開けるぐらいの費用が手に入る。なぜ売ってはいけないのだという発想だ」と稲葉さん。

 フィリピンでの移植に詳しいジャーナリストの今西憲之氏も「ドナーのあてがない患者が病院の窓口に行くと、表向きは医師やそのチームが仲介者を紹介してくれることはない。でも、何となく探す方法が分かるように教えてくれるようだ」。ドナー希望者は売血の場所や病院の周りにたむろしている。「例えばタクシー乗り場などで声を掛けておくと、口コミで情報が広がりドナーがすぐに見つかる」という。ただ、適合するかは検査をしないと分からないため、その時間と費用が必要になる。

 交通事故などで人が病院で亡くなったときにも、移植医に連絡が入る。稲葉さんは移植した腎臓の調子が悪くなり、三年前にフィリピンで再移植。この時は交通事故で亡くなった人から提供を受けた。

 フィリピンでは、移植専門医が自分のチームを持って、病院などに事務所や窓口を持ち、検査、手術、術後管理までを行う。手術に掛かる費用は選ぶ病院や医師によって違うが、稲葉さんが二度目に受けた時の場合、病院に約百六十万−百八十万円。主治医に約二百万円。このほか検査や手術代、内科医や看護師などスタッフへの費用など総額で約七百万円掛かった。「医師によっては一千万円以上もかかる。金の切れ目は縁の切れ目の国。少ない費用で安全にやることは難しい」と稲葉さん。

 移植医の腕はどうか。稲葉さんは「マルコス大統領が何度か手術を受けていることもあり、移植医療は進んでいるようだ」と話す。

 「ほとんどの移植医が米国に留学して学んでいる。年間数十例もの手術をこなす腕のいい移植専門医が十−十五人いて、手術あとも小さくきれい。近隣諸国からも医師が勉強しにきているようだ」と今西氏もみる。病院ごとに倫理委員会があるが、「結局は医師の判断がものをいう」とも。

 怪しいブローカーが暗躍していないのか。稲葉さんは仲介してくれた牧師に約十五万円を払った。「二度目の時は奥さんが手伝ってくれたが、彼女もふだんは保険外交員で仲介業者ではない」。だが、現地では法外な金額を要求するブローカーの話を耳にした。実際に仲介業者を名乗る日本人に声を掛けられた。

 従来、日本人の腎臓病患者にとって、海外で移植手術を受ける可能性を探れる国は、米国、中国、フィリピンなどといわれてきた。

■米は費用高額 中国にも批判

 しかし米国では極めて高額な費用が必要。中国政府は、死刑囚の臓器利用を世界保健機関(WHO)が「非人道的である」と批判したことを受けて、外国人への臓器提供に消極的な姿勢を見せ始めた。このため近年、フィリピンに注目が集まっているといわれる。

 しかし今も毎年、フィリピンに診察を受けに行く稲葉さんは「まだ日本人が殺到しているという話を聞いたことはない。フィリピン人の妻や夫がいる人、日本で働くフィリピン人から紹介を受けた人などがきているだけ」という。

 日本の厚生労働省は、海外での臓器移植に倫理面で懸念を示しており、情報の不足が歯止めとなっている。

 しかし、稲葉さんは、こう話す。「本当は国内で手術を受けたい。だが、国内でドナーが見つからない現状では海外に助けを求めに行くしかない。フィリピンの人に無理に臓器を提供させているわけではない。(フィリピン政府は)臓器取引を法で認めることも検討しているようだが、すべて闇で取引されるよりいいかもしれない」

<デスクメモ> 臓器売買の裏側には貧困や犯罪があり、容認はできない。ただし国内で絶望的な移植待ちをする患者に「海外でも処罰の対象になる」などと脅すのは、「飢えてもヤミ米に手を出すな」というのと同じだろう。大切なのは国内でドナーカードの普及率を上げ、死体腎の提供数を増やすことだ。積極的な政策を。(充)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070205/mng_____tokuho__000.shtml