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2007年01月30日(火) 22時25分

少年「覚えてない」/高野山殺人朝日新聞

 弁護側が殺意否認/検察側「未必の故意」主張

 「殺意はなかった」「よく覚えていない」——。29日に和歌山地裁で開かれた高野町高野山の写真店主殺害事件の初公判で、元高校生の少年(16)は殺意を否認した。一方、検察側は「ストレスを爆発させ『死んでも構わない』と思って暴行した」と主張。殺意の有無を巡って検察、弁護側が激しくぶつかった。  (徳島慎也、渡辺秀行、宇津宮尚子)

 この日午前10時20分過ぎ、少年を乗せた護送バスが和歌山地裁に入った。窓から車内が見えないようになっていた。

 同10時半に開廷。成川洋司裁判長が「被告人の年齢などを考慮し遮蔽(しゃへい)措置をとる」と述べ、少年の入廷時に、高さ約2メートルの衝立(ついたて)がすき間なく並べられ、少年の席は衝立で傍聴席側から隠された。弁護士によると、少年は長袖シャツにスリッパ姿で、やや緊張した様子だったという。

 少年は罪状認否で、「自己の鬱憤(うっぷん)(を晴らすという動機)というところが違います。殺意があったというのも違います」と述べた。「殺意はなかったということか」と聞かれ、「よく覚えてない」。さらに「(凶器とされる)炊飯器や電気ポットなどをよく覚えてない」と述べた。

 検察側は冒頭陳述で、少年が母親への不満や寮生活にストレスを感じていたと指摘。「事件当日、授業で教師から注意され、ストレスが爆発してイライラを抑えられなくなった。被害者を殴って発散しようと考えた」と動機を説明。「『死んでもかまわない』という気持ちで暴行した」として、未必の殺意があったと主張した。

 精神状態については「適応障害が認められるが、物事の善悪を判断し、行動を制御する能力は完全に備わっていた」とした。

 これに対し、弁護側は「少年は当時、行動を制御できない状況。『死んでもいい』という意識すらなかった」と反論。「少年刑務所より、医療少年院での処遇の方が少年の贖罪(しょくざい)意識を高めることができる」と、家裁への移送を求めた。

 弁護士によると、少年は、いすに座って下を向きながら落ち着いた様子だった。だが弁護側の冒頭陳述で少年の成育歴が述べられると、顔を紅潮させた。「我慢して聞いててよ」と弁護士に声をかけられると、うなずいたという。閉廷後に弁護士が「少しイライラしたか」と聞くと、少年は「うん」と答えたという。

 弁護士は閉廷後に会見し、「少年がいずれ社会に出てくるとすれば、問題点を除去しなければならない。一定期間、社会から隔離するだけではすまない」と話した。

 写真店主の遺族は弁護士を通じ、「加害少年が適正な法手続きに従って、法に定められた相応の社会的責任を負い、その後、期待される更生を果たすことを希望する」との談話を出した。

 2月21日の次回公判では、少年に対する被告人質問がある。

 ■母の接見 拒み続け

 「母親に会いたくない」

 「適応障害の原因」とされた母親との接見を、少年は拒み続けている。検察官送致(逆送)からまもなく半年。和歌山市の和歌山刑務所丸の内拘置支所の独居房に勾留(こうりゅう)されている。身近な人の接見はないという。少年は昨年11月ごろ、髪を短く刈り上げた。

 弁護士によると、少年は差し入れの漫画やパソコン関連の本などを読んで過ごしている。差し入れを求めるために母親に手紙を出すが、要求を事務的に伝えるだけの文面という。

 少年は昨年7月、弁護士に「殺す気はなかった」という内容の手紙を出した。捜査段階で殺意を認めていたが、それを覆した。以来、少年は自分の意思を明確に表していないという。

 弁護士は年末まで約10回、少年と接見した。少年の方から話しかけてくることはほとんどない。「寒くないか」と尋ねると、「ああ」と生返事が返ってくる。そんなやりとりが続いた。「少年が『こうしたい』と言うことは一切ない」と弁護士は話す。

 弁護側の冒頭陳述によると、少年は寮生活する高校へ入学する直前、夜まで帰宅せず、母親に「この学校しか入るとこないよ」と怒られた。すると少年は怒りを爆発させた。「お前のせいなんじゃ。お前がこんなふうにおれを育てたんや」。母親の肩をつかんでベランダへ押しつけた。これが、母親に対する最初で最後の暴力だったという。

http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000000701300001