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2007年01月28日(日) 06時41分

「チームそのまんま」原動力 マニフェスト作り支える朝日新聞

 21日の宮崎県知事選で初当選した東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)(そのまんま東)氏は、公約80項目を盛り込んだ「そのまんまマニフェスト」を掲げ、「元お笑い芸人」というイメージからの脱却に成功した。マニフェストづくりを支えたのは知事自身が「チームそのまんま」と呼ぶ団塊ジュニア15人だった。

 「知事選出馬を考えている。宮崎の現状を掘り下げたいから一緒に勉強してみませんか」。早稲田大学大学院で公共経営を学ぶ渡瀬裕哉さん(25)は昨年11月中旬、大学院の先輩の紹介で、東京・渋谷の喫茶店で本人と初めて会った。

 宮崎県発注の公共事業を巡る談合事件で、安藤忠恕知事(当時)の進退が取りざたされていたころ。その年の3月に東国原氏は早大政経学部を中退していた。「そのまんま東」が政治に興味があるとは正直、意外だったが「有名人とやりとりできるなんて楽しそうだ」。すぐ引き受けた。

 渡瀬さんは、企業や政治家のインターンを通じて知り合った大学生による政策研究・提言のNPO法人「政策過程研究機構」の設立(01年)に参加。20代ながら自治体運営への提言や論文を発表するなど、その世界では知る人ぞ知る存在だ。先輩が渡瀬さんを紹介したのも、そんな実績を見込んでのことだった。

 とはいえ、マニフェスト作りは初めて。「そのまんま東さんに会わない?」。友人のケータイを鳴らしては誘った。「へえ。いいよ」。大学時代に防災を専攻した会社員、シンクタンク職員、経営コンサルタント、旅行会社員。全員が20〜30代前半の団塊ジュニアだった。

 1回目の会議は11月25日夜。渋谷区のビルの一室に十数人が集まった。ジャージーにめがね姿で現れた東国原氏は小さなノートを取りだした。「政策」を書き込んだ、そのノートに目をやりながら自分の思いをとつとつと語った。談合事件や交通網の整備の遅れなどを挙げて「このままでは宮崎は陸の孤島になってしまう。自分がセールスマンになって、外とのネットワークをつくりたい」。

 話から「教育」や「観光」「行革」など重点的に訴えたいテーマが見えてきた。「幹の部分は、彼がすでに描いていた。僕たちはその思いにデータを補強したり、具体策を提案したりした」

 マニフェストの土台となる宮崎の現状や課題をつかむため、県がインターネットで公表している報告書や統計を分析した。総合計画や雇用・産業再生指針、国が作成した県経済の現況報告……。「農業県のイメージが強いが、実はサービス業や製造業が成長を支えていた。観光業に力を入れ、かつ競争力のある企業を誘致するために何をすべきかを皆で考えた」と渡瀬さん。

 マニフェストには「サービス業進出への支援」「半導体産業、自動車産業を中心に誘致活動を強化」などが入った。ほかにも、被災時の生活費を支援する「災害時安心基金」(3億円)や中山間地の医師巡回制度「宮崎型ホームドクター制度」などは、本人が実現を強く希望したという。

 会議は平日夜を中心に開かれ、東国原氏も必ず出席した。毎回5〜6時間はざらで、議論した結果は電子メールで共有。それをたたき台に次回に臨んだ。一字一句、食い入るように資料を読んで議論し、質問も細部に及ぶ姿に「彼は本気だ」と思った。

 立候補表明直前の12月初め、マニフェストが完成した。報酬代わりに色紙20枚にサインしてもらい、握手して別れた。

 当選は、友人から携帯メールが続々入って知った。ああ、本当に知事になるのか。感慨深かった。「マニフェストは今や、宮崎全体のものになった。実現に向けて頑張って欲しい」

http://www.asahi.com/politics/update/0128/004.html