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2007年01月28日(日) 10時18分

長野で牛丼シンポ朝日新聞

 牛丼チェーン「吉野家」の創業のヒントとなったとされる牛鍋店を描いた名画が長野にある——。フードビジネスの研究者で昨年秋、「吉野家」を出版した茂木信太郎・信州大学教授らによるシンポジウム「牛丼探偵、名画と吉野家の謎に迫る」が27日、長野市の北野カルチュラルセンターで開かれ、約120人が参加。「史上最強のチェーン店」をめぐる議論に沸いた。(五十嵐大介)

 「牛丼探偵」に扮した茂木教授は、北野美術館に所蔵されている名画「牛肉店帳場」の背景や吉野家の経営の強みについて、独自の「推理」を披露した。

 この絵は、永井荷風の作品の挿絵などを描いた画家の木村荘八(1893〜1958)によって1932(昭和7)年に描かれた。荘八の父は明治時代に東京で開業した牛鍋店「いろは」の創業者。

 茂木教授は、店のお金の管理上、約30店舗の店長はすべて店主の妾(めかけ)の子どもたちに任せていたと説明。「妾の子どもは合計30人おり、彼らを店長にスカウトする手法で世界初のチェーン店が誕生した」。

 明治時代には、西洋諸国に体格の面からも追いつく必要があるとして政府が牛肉を奨励するようになった。茂木教授は「大阪から上京した吉野家の創業者松田栄吉氏が、牛鍋ブームに便乗して吉野家を作った」と解説した。

 食文化についての著書もあるゲストの塚田国之・長野商工会議所専務理事は「江戸時代の東京は、一人暮らしの男性が多く、ほとんどが外食だった。『早い』『立ち食い』のエッセンスが吉野家に通じているのではないか」と分析した。

 会場からは「長野の権堂にも絵画のような牛肉屋があった。『いろは』のまねをして作ったのではないか」などの意見も出た。

 倒産や牛海綿状脳症(BSE)騒動などを乗り越えた吉野家の強さを、茂木教授は「あの倒産が良かった。おかげで慎重に慎重を期す出店体質ができたのだと思う」と分析した。

http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000000701280004