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2007年01月25日(木) 01時45分

1月25日付・編集手帳読売新聞

 人は会話をしているとき、話に気を取られて思考がお留守になる。隠しごとは会話のなかで露見しやすい。名探偵ポアロの言葉である◆アガサ・クリスティの長編「ABC殺人事件」で、友人のヘイスティングスに語っている。「(会話とは)人がかくそうと思っていることを発見するための、誤りのない方法でもあるわけだ」(堀田善衛訳、東京創元社)◆不祥事を起こした企業が「会話の場」記者会見を避けたがるのも、まだある隠しごとが発見されるのを恐れてのことだろう。かりそめにも報道機関を名乗る会社にして例外ではないと聞けば、情けなくもあり、恥ずかしくもある◆納豆のダイエット効果を巡る番組を捏造(ねつぞう)した関西テレビが幹部の処分を決めた。内容を報道各社にファクスで送ったきり、記者会見の要請には応じていない。多くの人がこうむった迷惑を考えれば、語ることはいくらもあるだろうに◆捏造が問題の放送回だけであったかどうか、世の人は不信の目で見ている。「探られると痛い腹がまだございまして」と告白するかのような会話の忌避は、疑心をあおるだけだろう◆関西テレビ著すところのミステリー「捏造の構図」は、社長の減俸処分で幕とはいくまい。すべての謎が解かれる最終ページまでまだ先があることを、著者兼主人公の沈黙が告げている。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070124ig15.htm