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2007年01月15日(月) 00時00分

ミクシィ疲れ朝日新聞

 学生たちの飲み会が年々減ってきた気がする。

 かつては、飲んで夜通し語り合い、歌を歌うというのが当たり前であった。だれかのアパートに泊まり込む慣習も薄れてきた。

 マージャンと同じ軌跡をたどって、飲み会や泊まり込みも廃れていくのであろうか。

 学生たちによれば、あまり深く入り込み合う関係は好まれていないそうだ。深入り厳禁という感じだ。

 飲み会や泊まりをすると、関係が熱くなるし濃くなる。きずなが深まるにせよ、壊れるにせよ、加速度が増す。そのぶんライブ状況でのエネルギーが求められる。

 体と体がぶつかり合うという形でのエネルギー消費は好まれない。男女関係においても、「早期精力減退ですね」(男子学生)という言葉さえ聞かれる。

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 では、どういう関係が好まれているのか。ミクシィである。うちのゼミでも半数以上はやっている。適度に親密、でも生活空間は侵し合わない。昔の友だちとも交流できる。

 自分の日記を人に見てもらうことで、張りが出る。ゆるやかな友だちの輪が、ぬるめの半身浴のように快適なようだ。

 日記や感想を書き込み合うのに疲れた状態は、「ミクシィ疲れ」と言われる。これは、現代用語の基礎知識にも載ったが、ミクシィ疲れしている学生はけっこういる。

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 私のゼミは、実は半期ごとの授業が単につながっているだけのものなのだが、例年、不思議と学年を越えて仲良くなっていた。

 卒業式の夜は、毎年、3年生が4年生一人ひとりにプレゼントを渡し、涙にくれる、というあたたかなファミリー的雰囲気に満ちていた。

 しかし、それが今年は、危機を迎えている。きずな作りが足りないのか、送る側のゼミの3年生の盛り上がりがもう一つなのだ。

 たしかに「授業が一緒だった程度でそんなに親密になれない」という気持ちはもっともだが、私は昭和の熱い人間関係をつい求めてしまう。

 授業は単位をとるためのものとドライに割り切ってばかりじゃ一番大切な人間関係の財産ができないよ。このままじゃ送ったのに送ってもらえない4年がかわいそうだ。

 これじゃまるで年金制度の破綻(はたん)と同じじゃないか。

 「ミクシィ疲れしている暇とエネルギーがあれば、直接体と体でぶつかってみろ」と言いたい。

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 そう言えば、私が部長をしている部で新入部員歓迎会を催したところ、新入生の半数以上が欠席で、私の歓迎のあいさつはむなしく空を切った。君たちのための会なんですけど。

 多くは要求しない。「とにかく、場に体を持ってきたまえ。そこから何かが始まる」と、私は切に訴えたい。

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 さいとう・たかし 1960年、静岡県生まれ。東京大大学院教育学研究科などを経て03年から明治大文学部教授。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社)、『教育力』(岩波新書=近著)。

http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000150701150001