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2007年01月13日(土) 14時35分

「それボク」NY試写 米法曹関係者ら賞賛朝日新聞

(寄稿:平野共余子さん、映画史研究家)

 「Shall we ダンス?」の大成功以来、期待されていた周防正行監督の11年ぶりの新作「それでもボクはやってない」が10日、1月中旬の日本での劇場公開に先駆けニューヨークのジャパン・ソサエティーで特別試写された。

 一審で有罪判決を受けた痴漢事件の被告人が二審で逆転無罪を勝ち取ったという新聞記事を4年前に読んだことから、周防監督は興味を持ち取材を始めた。そこで目の当たりにした日本の刑事裁判の現実に驚き、感じた怒りがこの作品になったと監督は上映前の舞台挨拶で述べた。

 続いて艶やかな深緑のドレスの瀬戸朝香さんが舞台挨拶に立った。女性として痴漢事件には義憤を感じながらも上役(役所広司)に薦められ、無罪を主張するフリーター(加瀬亮)を担当する新人弁護士の役を演じている。

 「脚本を読んで複雑な気持ちになった。刑事裁判に詳しくなかったが、日本の現状がこうなのだというのがとても伝わる台本だった。台詞が難しくて専門用語も多いので、初めはどう表現してよいかわからないこともあったが、台本がリアルに描かれているので、あまり力をいれず自然体に演じた」と熱意を持って語った。

 「十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜(むこ)を罰すなかれ」という法格言から始まるこの作品は、満員電車で痴漢に間違えられて現行犯逮捕された青年が起訴されて判決が下るまでの約1年間をリアルに再現していく。

 調書を勝手に「作文」してしまう刑事をはじめ警察のずさんな対応、留置所生活、検察庁での高圧的な取り調べ、そして母や友人の当惑と支援、痴漢冤罪事件被告の先輩の助言、被告側が製作する事件再現ビデオ、担当裁判官の交代、被告側の弁論中に居眠りする裁判官等々、まさに「驚き」の連続である。 

 主人公が初めて体験することの「驚き」を映像で再現するという構成は、禅寺修行についての「ファンシイダンス」(89)、学生相撲部についての「シコふんじゃった。」(92)、社交ダンスについての「Shall we ダンス?」(96)というように、「意外な分野でのおもしろいこと」を発見し習得するという周防監督の今までの作品群のテーマの延長線上にあると言える。

 しかし今回は、一人の人間の人生を左右する裁判の現状がこれでいいのかという深刻な社会問題が表面に出る。とはいえ娯楽映画の名手である周防監督の力量で、ところどころに笑いの場も入れながら、専門用語が飛び交う法廷シーンも多い2時間23分を一気に見せる。

 その「笑い」がブラック・ユーモアであることが、今までの作品と大きく違う点である。息子の逮捕におろおろする母親(もたいまさこ)の行動や無責任なアパートの管理人の応対などは、突然の大事に反応する庶民の行動として微笑ましい類に入るが、特異な日本の裁判の方式や被告の主張をまったく無視する検察や裁判官の態度の連続になると、「まさか」「こんなことでいいのだろうか」というニュアンスの失笑や冷笑になっていた。

 起訴されたら有罪確定率99.9%という日本の刑事事件の現状は、多くの担当事件を抱えて常に忙しい裁判官が能率よく判決を下すために有罪と決めつけて被告側の証拠をまともに審議せず、検察側も被告の主張に耳を傾けないという恐るべき事態である。

 上映後のレセプションでの観客の話題の多くが、迫真力を持って描かれた日本の裁判制度についてのものであった。ニューヨーク大学ロースクールの刑事訴訟法教授ジェイムズ・ジェイコブズさんは、「日本に行ったこともあるし、日本人学生の指導もしたが、この作品は日本の裁判制度の問題点をリアルに描き、ドキュメンタリーのようだった」と評価した。

 人権問題を扱う国際団体アムネスティ・インターナショナルでインターンをしているダイアン・サンズさんは、「周防監督の『Shall we ダンス?』のファンだが、この作品も演技、演出が素晴らしい。裁判官が忙しすぎるのはどの国でも同じだし、人間だから間違いは起こる。控訴できるということが重要で、マスコミや世論の後押しも必要だ。しかし裁判官に有罪の判決を下すように圧力がかかるというのは、日本特有の問題ではないか」と分析。

 ジャパン・ソサエティーで日本語を長年習っているレコード・プロデューサーのジョン・ハチンソンさんは、「問題提起というこの手の作品は一方的な描き方になりがちだが、よく練られた脚本と素晴らしい演出で、バランスを持って描かれていた」と賞賛。

 映画評論家のクリス・ボーンは「法廷シーンが多いにも関わらず、最初から最後まで観客の心をとらえ、緊張感が持続する素晴らしい作品だ。法制度の問題でいえばアメリカでも同じことが言え、被告の言い分を検察側も判事もあまり聞かないというのは普遍的な問題だ」と指摘。

 ニューヨーク在住の映像作家の東谷麗奈さんは、「久しぶりに骨のある日本映画を見た。女性の権利を叫ぶ社会風潮の中で、あえて痴漢冤罪を題材に選び、女性観客の反感を買ったり気分を害せずに、冤罪あるいは日本の裁判制度の問題にテーマを昇華させていた」と述べた。

 上映後、感想を伝えようとする観客に囲まれていた周防監督は、「日本での上映と違って、笑いがしばしば起きた。こうして堂々と笑われてしまうと日本人が笑われているようで複雑な心境になるが、本当に日本の現実はこうなのだ。この映画が描いている裁判をいろいろな人の目にさらして、批判を浴びせたい。日本の裁判が少しでもよくなるように、これからも世界中で上映したい」と語った。

http://mytown.asahi.com/usa/news.php?k_id=49000000701130011