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2007年01月06日(土) 01時16分

<訃報>安藤百福さん 飢えからの解放決意…破産乗り越え毎日新聞

 「食足世平(しょくそくせへい)」。世界中で年間857億食が消費される即席めんを創造した安藤百福(ももふく)さんは、自身が作ったこの四字熟語を好んだ。直訳すれば、「食が足りて初めて世の中は泰平になる」だが、安藤さんが込めたのは、「食を通じて世の中の役に立つ」という決意だった。日清食品の企業理念でもあるこの言葉は敗戦後、焦土と化した大阪の街で、安藤さんが自身に立てた誓いであり、破産という人生の逆境で不死鳥のように蘇るエネルギーでもあった。
 安藤さんは敗戦で、集荷・問屋会社などの事業の大半が灰塵に帰したが、「戦後復興にはまず飢えから解放だ。食からすべての建設は始まる」と決意、食品事業を起こす。事業は順調だったが、懇願されて理事長に就いた信用組合が倒産し全財産を失なった。46歳だった。
 「今となっては、あの空白の時間が新事業のために必要だった」と安藤さんは語っていたが、家内労働で細々と営まれていたラーメンの大規模工場生産という前代未聞のアイデアは、この時期に醸成された。
 2年後の58年8月25日、世界初の即席めん「チキンラーメン」は1袋35円で売り出された。うどん玉1個6円の時代。流通関係者の評判は芳しくなかったが、「お湯をかけて2分間」とうたって有名百貨店で実施した試食キャンペーンが女性たちから支持された。「即席めんは主婦の解放に役立った」。
 経営者としての安藤さんが尊んだのは独創性だった。他の追随を許さない独創を支えたのは好奇心と観察眼だ。今や即席めんの代名詞にもなっているカップヌードルは、スーパーの担当者がチキンラーメンを二つ折りに紙コップに入れて試食したのをヒントに開発された。
 01年には宇宙食ラーメンの開発に着手。宇宙飛行士、野口聡一さんが05年に搭乗した米国スペースシャトル「ディスカバリー」に持ち込まれた。「対立する国の人とも、同じ宇宙空間でラーメンを食べられるなんて夢がある」と喜んでいた。
 「商品はあくまでオリジナルでなければ成功しない。他人がやっているからでは決して成功しない」と安藤さんは力説した。
 ◇4日に年頭所感
 安藤さんは前日4日午前に同社の大阪本社で開かれた仕事始めで社員に向けて所感を述べ、その後は新年のあいさつに訪れた来客者の応対をした。その際、時折せきをする場面があり、風邪気味だったという。同日昼には、役員を交えた昼食会で、おもちを入れた同社製品のチキンラーメンを食べたという。5日昼過ぎ、体調の不良を訴え、午後3時ごろに大阪府池田市の自宅から同市立池田病院に搬送された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070106-00000006-mai-soci