2006年09月15日(金) 17時01分
06総裁選:山口と安倍晋三 安倍晋太郎/3 /山口(毎日新聞)
◇軍部に反発した父・寛氏 農地開拓にも力入れる
麻の白いスーツに白い靴、手にはステッキ。元日置町長、益冨時春さん(92)の記憶には、安倍寛元衆院議員のさっそうとした姿が残っている。安倍家は旧油谷町で代々醸造業を営んだ大地主だった。
寛氏は元外相、晋太郎氏の父親。東京大卒業後、1933年から46年まで旧日置村(長門市)長を務め、県議や衆院議員を歴任した。戦時中、大政翼賛会から推薦なく当選し、東条内閣を批判。油谷町史には「国会にあっては非推薦議員団の一員として軍事政権に厳しく対立した」とある。地元の農地開拓にも力を入れ「昭和の(吉田)松陰」と呼ばれた。
しかし、寛氏は背骨が痛む「脊椎(せきつい)カリエス」を患い、療養しながら執務した。健康には恵まれず、戦後、衆院選への準備中に51歳で急死した。
益冨さんは戦前農協組織で、リーダーの寛氏の部下として働いた。戦争から戻った時には寛氏の墓石に抱きついて泣いたという。「私利私欲でなく、地域に必要なことは絶対に実行する人だった。病死しなければ総理にもなっていた人物。だからこそ晋三氏の総理就任は安倍家3代にわたる悲願」と話す。
9月15日朝刊
(毎日新聞) - 9月15日17時1分更新
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