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2006年08月15日(火) 21時14分

違憲判決、政教分離への配慮なし 小泉首相の靖国参拝朝日新聞

 小泉首相の参拝後の会見で象徴的だったのは、憲法の「政教分離」という言葉にまったく触れなかったことだ。しかし、靖国神社問題とは、国と靖国神社との関係を断ち切った政教分離が生み出した問題であり、日本人一人ひとりが過去の歴史とどう向き合うかという課題にほかならない。首相はどこまでそれに思いをいたしているのか。

 小泉首相は6回目の参拝で初めて、(1)終戦記念日の参拝(2)本殿参拝——というハードルを同時にクリアした。昨年はそれまでの本殿参拝をやめ、社頭参拝でさい銭を納める簡易な方式をとった。直前の昨年9月の大阪高裁判決が本殿参拝をとりわけ「宗教的意義が深い行為」とし、参拝を「違憲」と断じたことなどを意識したようだ。

 しかし、今年は再び本殿の参拝へ切り替えた。首相を被告とした別の裁判で最高裁が6月、政教分離違反かどうかの判断を避け、原告の請求を退けたばかりだった。

 参拝を終えて官邸に戻った首相は、記者団に自説を繰り返した。「憲法違反だから参拝しちゃいかん」との批判があるが、「憲法19条、思想および良心の自由はこれを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題だ」と。

 この最高裁判決で首相を被告とする一連の裁判は一応の決着を見た。

 しかし、参拝が政教分離違反ではないとお墨付きが与えられたわけではない。首相の参拝は原告一人ひとりの具体的な権利を侵したわけではないという理由で、憲法判断をせずに訴えを退けたにすぎないからだ。

 目を向けるべきは、判断は分かれてはいるものの、下級審で「違憲」「違憲の疑い」を指摘する判決がいくつも出ているという事実だろう。

 政教分離は、靖国神社が軍国主義の精神的支柱の役割を果たし、国民を戦争へと総動員した苦い歴史の反省に立って生まれた。そうした認識のうえで「違憲」の結論が導かれている。

 敗戦により、靖国神社は国の管理を離れて一宗教法人に変わった。国家神道の解体を目指す連合国軍総司令部(GHQ)の政策のためだが、独立回復後も政教分離が歯止めとなり、国が靖国神社を特別扱いすることはできなくなった。

 これに対し、戦没者の遺族を中心に「靖国神社は国のために命をささげた戦没者をまつる神社だ」として、靖国神社を国の管理に戻そうとする国家護持運動が60〜70年代に展開された。

 しかし、その運動は挫折。運動の軸足は首相の公式参拝の実現に移ったが、首相参拝も「政教分離違反」との批判にさらされ訴訟が相次いで起こされた経緯がある。

 小泉首相が「心の問題」と開き直る参拝問題は、長い歴史を背景に持つ。戦前と断絶した新憲法下で国が靖国神社という宗教法人にどこまでかかわれるのかという核心を抱えている。

 だが、小泉首相は任期を通じて核心への問いにまともに答えようとはしなかった。

http://www.asahi.com/politics/update/0815/011.html