悪のニュース記事

悪のニュース記事では、消費者問題、宗教問題、ネット事件に関する記事を収集しています。関連するニュースを見つけた方は、登録してください。

また、記事に対するコメントや追加情報を投稿することが出来ます。

記事登録
2006年06月15日(木) 16時11分

“日銀プリンス” 四面楚歌 1000万円投資問題産経新聞

 村上世彰容疑者が率いた投資ファンド(村上ファンド)に日銀の福井俊彦総裁が1000万円を拠出していた問題で、参院予算委員会は15日午後、福井総裁を参考人として呼んだ。総裁は「世間をお騒がせして大変申し訳ない。心からおわびする」と陳謝した。しかし、野党は総裁の進退問題はもとより、任命権者である小泉純一郎首相の責任まで問う構え。経済界や市場からも批判の声が広がっており、かつて日銀のプリンスといわれた福井総裁は“四面楚歌(そか)”状態に追い込まれている。
 日銀の福井俊彦総裁のイメージといえば、小柄な体に柔らかな語り口、人懐こい笑顔。しかも、霞が関や永田町とのパイプは太く、民間の人脈が幅広い。「筋を曲げない意志の強さ」(日銀関係者)と「日銀マンらしからぬ許容度の広さ」(官庁OB)を併せ持っているという。
 昭和10年に大阪の商家に生まれ、府立大手前高校から東大法学部に進み、33年、日銀に入行。企画・営業畑の中枢を歩き、早くから将来を担う逸材と目され、“日銀のプリンス”とも呼ばれた。平成6年には副総裁に昇格。次期総裁は確実とみられたものの、10年に発覚した日銀幹部の接待汚職事件で監督責任を取り、同年3月、「世間に迷い出る」と言い残して副総裁を辞任した。
 民間人として同年11月に富士通総研の理事長に就任。同総研に出入りしていた村上世彰容疑者と面識を得て、村上ファンドへの資金拠出に至った。13年4月からは経済同友会副代表幹事として財界活動にも取り組み、民間の幅広い人脈を培ったとされる。
 総裁として日銀に復帰したのは15年3月。市中銀行の日銀当座預金残高を引き上げて30兆〜35兆円に膨らませる量的緩和政策を推進した。半面、消費者物価指数が上昇傾向を示すと、政府・与党に残る景気腰折れ懸念の声をものともせず、3月に量的緩和政策を解除している。
 日銀総裁の17年度の年収は前年比0・1%増の3640万円。私生活では熱心な阪神タイガースファンとして知られ、携帯電話の着信メロディーは「六甲おろし」、財界人らで作る星野仙一シニアディレクター後援会「虎仙会」の名誉会長でもある。
 「明るくコミュニケーション上手」(日銀関係者)らしく、民間との会合にも積極的に出かけ、週末は夫人らとゴルフで過ごすとか。
 日銀マンとしての福井総裁は、公定歩合操作に代わり、銀行同士が資金をやり取りする短期金融市場を通じて金利を誘導する「市場対話型の金融調節」を積極的に推進。民間銀行の貸し出し増を規制する窓口指導を廃止するなど、「市場主義者」として政策転換をリードした。
 バブル経済時代にはカネ余り現象の「過剰流動性」に警鐘を鳴らし、平成元年5月に総務局長に就任した直後に利上げに踏み切る早業でバブル退治にも取り組んだ。ただ、バブル後の長期不況を招いた金融政策の失敗については、福井総裁にも幹部としての責任を問う声がある。
     ◇
 ■「大変申し訳ない」参院委で陳謝
 福井総裁は「村上ファンド」に1000万円を拠出していた問題について、「今回、世間をお騒がせして、申し訳ありませんでした」と陳謝したが、自らの責任論には触れなかった。中川雅治氏(自民)の質問に答えた。
 福井氏は、平成10年当時、通産省官僚だった村上氏と知り合い、「大変、共感を覚えた」と説明。11年に通産省を退官した村上氏に対し、「激励する意味で、1000万を拠出した」という。しかし、「最近にいたればいたるほど、村上氏の行動が、当初の志にそったものかどうか、必ずしも確認が持てない」として、今年2月に解約を申し出たと説明した。
 ファンドへの拠出によって出た利益については、「損得勘定は分からない」としたが、「最終的に利益が残るのであれば、私自身の利益のために使うのではなく、国民がどのような角度から見ても、納得できる使い道に使いたい」と説明した。
 これに関連、安倍晋三官房長官は同日午前の記者会見で、福井総裁の責任問題について、「今後とも職責を果たしてほしい」と述べ、辞任する必要はないと強調した。
(産経新聞) - 6月15日16時11分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060615-00000016-san-pol