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2005年07月10日(日) 00時00分

英イスラム社会の苦悩  テロ後、嫌がらせメール殺到 東京新聞

 伝統的に民族や宗教に寛容な英国は長年、政治亡命者なども受け入れ、「セーフ・ヘブン(安住の地)」ともいわれてきた。その寛容さは「テロリストの温床」とも批判されたが、一方で、テロなどに対する安全保障としても働いてきた。しかし、ロンドン同時テロはそうした特殊性を吹き飛ばし、合わせて、一般のイスラム教徒への苦悩として重くのしかかる。 (松井 学・ロンドン、田原拓治)

 テロの翌八日、ロンドン北部のリージェンツ・パークにある英国一のイスラム寺院「セントラルモスク」。ここには、母国から逃れてきた各国の亡命者も多数集まる。周辺では、警察官が人の出入りに目を光らせていた。

 礼拝に訪れたロンドン市内の店員ハラッド・ユセフ・アユーブさん(24)は「この街で育った私にとり、家がなくなってしまったような悲しい出来事だ」とショックを隠さない。アラブ系のアユーブさんにとって他民族や宗教に寛容な英国社会が“育った家”だ。

 「ロンドンでは今、イスラム教徒の女性が街中で嫌がらせに遭ったり、暴力をふるわれている。それが家族や友人らの身近に迫ってきている。二〇〇一年の米中枢同時テロを境に、英国人の一部で差別感情があらわになってきて、そこへテロが起きてしまった。多くのイスラム教徒は『一人を殺すことは全世界を殺すこと、一人を助けることは全世界を助けること』というコーランの教えを守り、平和を願っている。私たちへの締め付けが増すことに対して、今度はイスラム教徒の中に英国社会への反発を感じる気持ちが芽生え始めている」

 同時テロの後、リビングストン・ロンドン市長が記者会見で「白人、黒人、そしてイスラム教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒の罪のない人々が犠牲になった」と話したように、ロンドンは欧州一の多民族、多宗教都市だ。今回、標的になった駅周辺のうち「エッジウエアロード」一帯はアラブ人も多く住む。

 イスラム系人口は全人口の約3%にあたる百四十万−百八十万人を占め、強固な移民社会を形成する。

 しかし、最近、大都市への急激な移民の流入が続き、ひずみも現れ始めている。さらに、政府は二〇〇〇年に反テロ対策法をつくり、テロ計画の疑いがあるとみなせば、令状なしで拘束できる制度を導入。人権に反する内容を今年三月、一部改正したものの、制度の趣旨は変えていない。

 ■IDカードに宗教も記入へ

 モスクへ礼拝に来たユヌス・イルハスさん(25)は「ブレア政権の下での反テロ法以降、この国は自分たちにとって明らかに住みにくくなっている。しかも、いま国会審議中で、下院を通過した法案では、身分証明のIDカードに宗教の記入が盛り込まれ、もっとひどいことになりそうだ。明らかに移民に対する締め付けだ」と訴える。

 セントラルモスクのマネジャー、ファズリ・アリさん(65)は「亡くなった人々やその家族の心中は察して余りある」と話した。慎重に言葉を選び、複雑な胸中をのぞかせた。

 「私は四十四年間住んでいるが、ロンドンは移民にも住宅があてがわれ、世界一住みやすい街だった。英国人の移民に寛容な精神や、少数派の排斥に傾かない社会の価値観は、今回の事件を目の当たりにしても変わらないはずだ」

 ■モスク周辺で不審火や罵倒

 しかし、嫌がらせなどは拡大の傾向にある。九日付の英ガーディアン紙によると、警察当局は、モスク周辺での不審火や罵倒(ばとう)、脅迫電話など七十件を確認。イスラム教徒組織の一つ「英国ムスリム評議会」には、三万件を超える嫌がらせの電子メールが殺到し、サーバーが機能しなくなった。

 英国は、古くはパレスチナ問題の原因をつくり、最近ではアフガニスタン、イラク両戦争で米ブッシュ政権と二人三脚を演じつつも、これまで大規模なテロ攻撃を受けなかった。

 英国の「究極の安全保障体制」があったからで、その一つが英国とイスラム急進派の間での暗黙の「ギブ・アンド・テーク」の関係だ。英国は以前から、アラブ諸国で死刑判決などを受けたイスラム反体制派活動家らの亡命を認めてきた。監視はしつつも、彼らの宣伝活動や人、カネの流通すら事実上、許してきた。

 例えば、ロンドンで国際イスラム政治犯救援団体「イスラム監視センター」を主宰するエジプト人、ヤセル・シッリー氏は、祖国で一九九三年にセドキ元首相暗殺未遂事件の犯人として死刑判決を受けた。だが、英国はエジプト政府の再三にわたる身柄引き渡し要求を拒否し、同氏は政治活動を続けてきた。

 同じエジプト人で急進主義組織「ムハージルーン(聖遷する者たち)」代表を務め、公然とアルカイダを支持しているアブ・ハムザ・アルマスリ氏も同じだ。イエメンでの殺人事件への関与から、同当局は英国に身柄引き渡しを求めたが拒否。同氏はテロ関連の十六容疑で昨年八月、英国治安当局に拘束され、今度は米国が身柄引き渡しを要求したが、「死刑制度のある国への引き渡しは認めるべきではない」という欧州連合の原則を盾に拒んでいる。

 ■『大英帝国』の老獪さ危機?

 こうした姿勢は翻って、「テロリストの温床」との批判も受けたが、イスラム主義活動家らにとり、ロンドンはパリと並ぶ得難い「セーフ・ヘブン」であり、英国政府は彼ら自身を「人質」とすることで安全を得てきた。「大英帝国」の老獪(ろうかい)な知恵ともいえる。

 それだけに「今回の作戦は損得でいえば、活動家らが安住の地を追い出されかねず、明らかに損。アルカイダの犯行だったとしても、中枢が指令したとは思えない」と、同志社大学の中田考教授(現代イスラム運動)は推測する。

 実際、アブ・ハムザ氏は昨年、マドリードでのテロ事件について「間違った作戦」と断定。シッリー氏もこれに同調し、同氏と親しいアルカイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリ容疑者は昨年のテープ声明で「聖戦の舞台は西側から(アフガン、パキスタン、イラク、サウジアラビアなど)イスラム圏に移さねばならない」と語っていた。

 そうなると、今回の事件はこうした「旧世代」ではなく、「損得計算をしない過激で無名な新世代がアルカイダを名乗った」(中田教授)可能性もある。

 イスラム社会への風当たりの激化も懸念される中、前出のアユーブさんは祈るようにこう訴えた。

 「イスラム教信者の99%は平和を願う人たちだ。全体でみれば1%に満たない過激派のテロ行為が市民の命を奪い、新聞やテレビで大きく取り上げられ、世界中にイスラム過激派のイメージばかりが伝わることが残念でたまらない」

 「他人に愛情や礼節を持って接すれば、他人からもよく接してもらえるとコーランで学び、英国で生きるイスラム教徒の道だと思ってきた。それでも私たちを排斥する動きが強まるとすれば、どうすればいいのか。私は、この街で生きていくしかないのに」


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050710/mng_____tokuho__000.shtml