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2005年06月26日(日) 00時00分

【基礎からわかる談合】いつからあったの?読売新聞

 入札に参加する業者が話し合って受注予定者を決めてしまう談合では、価格競争が行われず、契約価格が割高になる。その結果、公共工事の場合は、納税者がツケを支払わされることになる一方で、競争があれば市場から締め出されるはずの質の悪い業者が生き残ることにもつながる。

 数々の弊害を生む談合だが、その歴史は古く、入札制度とほぼ同時に始まったと言ってもいいようだ。

 経済史が専門の武田晴人・東大経済学部教授によると、入札制度は豊臣秀吉の時代に導入された。1661年の江戸幕府の文書には「入札者が申し合わせて1番札から4番札までが逃げ、5番札が落ちる(落札する)ようにすることがあるから注意せよ」といった内容の記載もあるという。

 明治になり、近代国家建設を急ぐ政府が大型工事を発注するようになると、利権も巨大化し、談合が横行するようになった。東京建設業協会の「建設業の五十年」には、東京中央停車場(今の東京駅)の建設工事(1908〜14年)でも談合が行われ、「天の声」によって決着がついた経緯が描かれている。

 このころ、談合に従わない業者の入札を暴力的な手段で妨害する「談合屋」も暗躍した。業界秩序を守りたい業者らは彼らを頼ったが、談合屋は次第に業者の協定を左右するほどの力を持つようになった。入札のたびに、業者に金銭をせびる談合屋もいて、拒否されると工事を邪魔することもあった。

 一方、関西では、入札に絡んでやり取りされたヤミの金銭が「団子」などと呼ばれたといい、これが談合の語源という説もある。

 談合の横行に対し、国は1902年、会計法で、談合に加わった業者の入札参加を2年間禁じ、40年には、談合を処罰するための刑法改正案を帝国議会に上程した。しかし、建設業者に近い議員の猛反発にあい、結果的に、公正な価格を害したり、不正な利益を得たりする目的の談合だけが処罰対象となった。当時業界で言われた「いい談合」と「悪い談合」の存在を法律が認めた形になってしまった。

 47年に独占禁止法が制定されてからも談合の取り締まりは進まず、以後約30年間に、同法違反で摘発された談合はわずか9件。建設工事は1件もなかった。

 82年に排除勧告が出された静岡建設業協会などの談合事件では、初めて、大手ゼネコンが立ち入り検査を受けたが、課徴金納付を命じられたのは地元の中小業者だけ。ゼネコンは対象外となったことについて、公正取引委員会のOBは「建設業界が政治的圧力をかけてきた」と振り返る。

 当時の橋口収公取委員長は公取委編「独占禁止政策五十年史」の中で、「(国会では)公取委の態度も行き過ぎだという声も出てきた」と回想している。公取委は84年、自民党や業界の要望を受け、業者間の一定の調整を「原則として独禁法違反にならない行為」とする内容の建設ガイドライン作成を余儀なくされた。

 談合の摘発は90年代に入って再開されたが、それは、日米構造協議での米国政府からの外圧によるものだった。

入札談合の「歴史」 16世紀末ごろ入札制度が始まったとされる 1661年江戸幕府が小普請奉行に談合を注意する文書 1889年会計法を公布。国の発注を一般競争入札に 1900年勅令で指名入札制度を新設 1902年会計法改正。談合業者に2年間の入札参加禁止 1911年東京中央停車場(東京駅)の建築工事の入札 1921年会計法改正。指名入札と随意契約が行える範囲を大幅に拡大 1941年刑法に談合罪を新設。原案を大幅修正し、処罰の対象を限定 1947年独占禁止法成立 1949年岡山県発注の土木工事の談合で、39人が談合罪などで起訴されるが、51年に全員無罪の判決 1973年石油ショックを機にカルテルが多発 1974年公取委が石油業界のヤミカルテルを刑事告発 1977年独禁法改正。課徴金制度を導入 1979年熊本県発注舗装工事の入札談合で熊本県道路舗装協会に排除勧告。建設談合を初摘発 1982年静岡建設業協会などに排除勧告。ゼネコンは課徴金納付命令の対象外に。自民党の小委員会が「調整行為は違法ではない」と見解 1984年公取委が建設ガイドライン作成。建設談合の摘発に枠 1990年日米構造協議最終報告書に独占禁止法の運用強化盛り込む。公取委が積極的な刑事告発の方針を発表 1991年公取委がラップ業界のヤミカルテルを刑事告発。石油ヤミカルテル事件以来17年ぶりの告発 1992年独禁法改正。法人の罰金を500万円から1億円に 1993年東京地検特捜部がゼネコン汚職を摘発 1995年公取委が下水道談合を刑事告発。発注者側の日本下水道事業団の幹部も告発され、初の官製談合の摘発に 2003年官製談合防止法施行、北海道岩見沢市の談合で初適用 2005年公取委が橋梁談合を刑事告発

http://www.yomiuri.co.jp/features/bridge/200506/br20050626_r02.htm