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2004年09月17日(金) 00時00分

佐世保事件 見えてきた大人の責任 東京新聞

 子どもの内面に潜む大きな問題に親も教師も気づかず、ついに大事に至ってしまった。家庭裁判所の審判決定が描き出した小六同級生殺害事件の深層は、大人の責任の大きさを示している。

 人格形成のごく初期過程にある小学生の精神鑑定は無意味だとの意見もある。だが、長崎県佐世保市の同級生殺害事件で、長崎家裁佐世保支部が行った加害女児の鑑定に基づく審判決定文は、少女の内面に潜む重大な問題点をあぶり出した。

 「愉快な感情は認知し表現できるものの、怒りや寂しさ、悲しさといった不快感情は適切に処理されないまま抑圧されていた」

 「怒りを適切に処理できない結果として、抑圧、回避するか、相手を攻撃して発散するかの両極端の対処しかできなかった」

 明るく、おとなしい子どもと周囲の大人の目に映ったのは、怒り、悲しみの表現がうまくできなかったからなのである。

 審判決定に対しては、事件の原因を少女の人格的特性に求めすぎている、学校での友だちや教師とのかかわり方について探求が足りない、などの批判がある。しかし、子どもの内面に光を当て、周囲と同じごく普通に見える子どもでも深刻な問題を抱えている場合があることを明らかにした意義は大きい。

 決定は大人の責任も浮き彫りにしている。父親の闘病、失職など気の毒な事情があったとはいえ、少女の両親は「手のかからないおとなしい子」とだけ考え、十分な目配りを欠いたことで、資質上の問題点を見逃した、とも指摘している。

 同級生は少女を「ふだんはおとなしいが怒ると怖い」と評していた。子どもたちが気づいていた兆候を、教師が少女の発するシグナルと認識できなかったことが悔やまれる。

 このようなケースは例外的であろう。過度な反応は戒めなければならないが、人ごとと軽視してはならない。大勢の子どもの中に埋もれて見えにくいまれな事例を、大人はいかにして見つけ、どのように導いていくか、重い課題が提示された。

 未成年者の親や教育関係者に限らず、大人たちすべてが決定文を熟読し、子どもを守り育てる新たな心構えを固めたい。

 同時にここで指摘したいのは、衝撃的な事件のたびに語られる重罰論の短絡ぶりだ。「市中引き回しのうえ打ち首」などと封建時代のようなせりふを発した大臣もいるが、佐世保事件は少年の犯罪、非行には原則として「育て直し」の姿勢で臨むことが大事であると語っている。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20040917/col_____sha_____002.shtml