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2004年06月26日(土) 01時47分

松本サリンから10年…河野さん一家の闘い、今も読売新聞

 死者7人、負傷者約600人を出した1994年の松本サリン事件の発生から27日で10年。事件の被害者でありながら、一時は警察から容疑者のように扱われた河野義行さん(54)は、今も全国で講演活動を行い、犯罪被害者の支援などを訴えている。

 27日には、長男の仁志さん(25)が、事件のあった長野県松本市で開かれるシンポジウムに参加、聴衆の1人として会場に足を運ぶ父の前で初めて、冤罪(えんざい)や報道被害に立ち向かった当時の思いを語る。

 河野義行さんの元に、東京の青果物卸売会社で働く仁志さんから電話が入ったのは、「父の日」の今月20日だった。

 仁志さんは、事件現場近くの松本市城北公民館で開かれる「松本サリン事件を考えるシンポジウム」で講演することを話した。

 「僕も聞きに行くよ」と言う父に対して、「それはやりづらいな」と仁志さん。事件に対する父の考えは、講演活動を通して耳にしている。しかし、直接事件について語り合ったことはほとんどなかった。

 「これまでの年月、事件についてどう考えてきたか。父に伝えられるいい機会になると思う」。そう思い直し、来てもらうことにした。

 事件直後、河野さん一家は、仁志さんを除く4人全員が入院した。救急車に乗り込む義行さんは、高校1年だった仁志さんの手を握り、「後は頼んだぞ」と伝えた。

 その後、義行さんは警察の取り調べを受け、容疑者のように報道された。疑いが晴れたのは、翌年、オウム真理教の関与が明らかになってからだった。

 仁志さんは、市内の病院と、父の代理人を務める永田恒治弁護士(68)の事務所とを往復する毎日を送った。「わずか15歳ながら、仁志君は警察の家宅捜索や事情聴取を受けても常に沈着冷静だった」と永田弁護士。「後は……」という父の言葉が仁志さんの支えだった。

 「河野(義行さん)を守ろうとする者は自分と仁志君しかおらず、周囲はみな敵だった。そんな中で一緒に知恵を絞って戦った」。今でも互いを「戦友」と呼び合う、固いきずなで結ばれた永田弁護士から、「事件から10年を迎え、君が話す機会を作ろうと思う」と、シンポジウムへの参加を打診された。

 取り立てて自分の経験を社会に発信するつもりはない。しかし、「戦友」の誘いを断る理由はなかった。

          ◇

 「最初の1年はとても長かった」

 義行さんは10年を振り返り、そう語った。

 事件後、サリンの被害で約1か月入院した。その間、警察の事情聴取が繰り返し行われ、マスコミから取材依頼の手紙もたくさん届いた。

 「家内を殺人者の妻にはさせられない」。警察の取り調べに耐え、誹謗(ひぼう)中傷に負けなかったのは、サリンの被害で意識が戻らない妻の澄子さん(56)への思いからだった。

 義行さんは、2年前から長野県公安委員を務めている。月3回ほどの会議に出席、毎回、積極的に意見を述べ、内部から警察をチェックする。10年間の講演回数は約500回。今年も50回以上になりそうだという。(読売新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040625-00000415-yom-soci