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2004年03月23日(火) 00時00分

文春問題 『法の番人』の公平性は 東京新聞

 週刊文春の出版差し止めで思い知らされたのは、裁判所が持つ権限の強さだ。「プライバシーの保護」と「表現の自由」を両立させるのは難しい。だが、裁判所がプライバシー侵害と判断すれば、「検閲」のように出版禁止の断も下せる。「表現の自由」を制限する力を委ねられるほどの「公平性」が裁判所と判事にあるのか−。

 文春側の異議申し立てを退けた東京地裁の決定は、問題となった記事を、こう一刀両断にした。

 「表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣ることが明らかである」

 憲法は、私生活をみだりに公開されないプライバシー権を人格権の一つとして保障(一三条)する。それ以前に、憲法は表現の自由を保障(二一条)している。だが、今回の決定は他人のプライバシーを侵害する記事では、プライバシー保護を優先して表現の自由とその乱用を規制するのはやむを得ないと判断した。

 本来の憲法解釈はどうなのか。元最高検公判部長で弁護士の河上和雄氏は「プライバシーは民主主義が保障するが、その民主主義は表現の自由がなければ成り立たない。つまり憲法二一条の表現の自由が、他より優先するのは法律家としての常識だが、東京地裁の決定はプライバシー権と表現の自由の権利を同列にイコールで結んでしまった」と問題を指摘する。

 立正大学の桂敬一教授(ジャーナリズム論)も、「今回の判断は、『表現の自由』を『プライバシー保護』より下に置くものだ」と警鐘を鳴らす。

 決定は、出版物の事前差し止めを例外的措置と位置づけた「北方ジャーナル」の最高裁判決(一九八六年)も踏まえたものだが、桂教授は「北方ジャーナルの件は記事内容の事実を争った名誉棄損かどうかの判断だが、今回は真偽より当事者が心に傷を負ったかどうかという、主観的、抽象的な領域のもので、一緒に論ずべきものではない。プライバシーの絶対的重要性を初めて認めた“唯プライバシー論”だ」と懸念する。

 多くの識者が、今回の裁判所の決定に影響を与えているとみるのは、メディアがらみの名誉棄損訴訟などでの厳罰化の流れだ。

 マスコミ倫理懇談会全国協議会によると、昨年九月までの一年間でメディア側が敗訴した名誉棄損裁判で賠償金五百万円以上は七件で、うち最高額は千三百二十万円、以下、九百九十万円、八百八十万円と続く。

■自民の報告書に沿った?最高裁

 こうした厳罰化には政治の影もちらつく。メディアがらみの名誉棄損訴訟での賠償額は従来「高くても百万円」といわれてきた。だが自民党は九九年、「報道と人権等のあり方に関する検討会」で「出版社等が敗訴した場合でも賠償額が少額であるために、実際は商業主義に走って人権への配慮が薄れているものと推測される」と、増額を求める報告書をまとめた。その意に沿うように二〇〇一年、東京高裁判事が論文で「交通死亡事故の慰謝料の25%に当たる五百万円への引き上げ」を提案した。

 さらに最高裁に所属する司法研修所の「損害賠償実務研究会」は、点数制による賠償額の算定基準を決めた。これにより、例えば被害者の職業であれば「タレント10点」「国会議員8点」などと、多岐にわたり、賠償額算定の基準となる数値を設定。これを「研究報告」として、全国の地裁などに配布した。

 厳罰化における政治のかかわりについて、最高裁広報課は「研究報告が自民党の報告書に影響された要素があるかもしれない。しかし、研究報告は個々の裁判官の判断を拘束するものではない」と説明した。

 こうした厳罰化とともに桂教授は「裁判所が、自民党主導で制定された個人情報保護法にも引きずられている」と推測する。

 政治の影について、ある地裁の現役裁判官は「裁判の判断で介入を受けたことはないが、司法制度自体は中央で動いていて、人事もそこで決まる。キャリア意識が強い人ほど、人事を含めてトップの動向には目を向けている」と述べる。

■メディア自身の認識が一番甘い

 そのうえで「多様な判決が生まれにくいと指摘されるのも、まさに中央集権の問題と切り離せない。個々の裁判官は純粋に独立し仕事をしているが、あうんの呼吸で判断の方向が決まることがないわけではないだろう」と打ち明けた。

 ただ、仮に政治家や裁判所幹部の意向がメディア厳罰化に影響しているにしても、それを促してきた根底には「メディア被害」に対する社会の不満もある。別の司法関係者は「メディアの横暴に対する世論の批判的ムードは司法界にも伝わっている。その認識の最も甘いのがメディア自身ではないか」と指摘する。

 現在、文春は高裁へ抗告しているが、最終的には最高裁での判断が求められることになるかもしれない。その決定は、さらにはっきりと「表現の自由」に制限の網をかけかねない。

 立教大学の服部孝章教授(メディア法)はこう警鐘を鳴らす。「メディア被害に対する不満が社会に浸透している。プライバシー侵害を理由にした表現の『事前規制』の対象は次に放送、新聞へとメディア全体に及びかねない」

■『エリート中のエリート』

 今回の「週刊文春」出版差し止めにかかわったのはどんな裁判官なのだろう。

 文春側の異議申し立てを却下し、差し止めを認可する決定をしたのは三人の判事だ。このうち裁判長を務めたのは東京地裁民事九部部長判事の大橋寛明氏(54)。最高裁行政局参事官や東京地裁判事を経て、一九九五年から昨年四月まで最高裁調査官、同上席調査官を務めてきた。この職は、最高裁判事に代わり実質的な審理をすることも多く、判事の世界では「エリート中のエリート」と目される。

 大橋氏が裁判長としてこれまで下した判決をみるとメディア関係も多い。昨年はインターネットの掲示板「2ちゃんねる」の書き込みなどをめぐる複数の名誉棄損訴訟でいずれも被害者への損害賠償を認める判決を出した。九四年には「ロス事件」で被告がスポーツ紙など四社を名誉棄損で訴えた裁判でも損害賠償を認めている。同年には佐川急便事件でも、名誉棄損で全国紙を訴えた国会議員への損害賠償を認めている。

 「週刊文春」の仮処分を単独で最初に下したのは、東京地裁の鬼沢友直氏(45)だ。外務省に出向し在外勤務の後、司法研修所教官を経て昨年から東京地裁判事を務めている。こちらも相当なエリートだ。報道された限りではメディア関係の判決はない。話題になった裁判としては、九八年にオウム真理教信者が、警視庁警官の職務質問を拒んだところ警官に突き飛ばされた上に公務執行妨害で逮捕されたと訴えた訴訟で、信者への損害賠償を認めた。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040323/mng_____tokuho__000.shtml