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2004年03月21日(日) 00時00分

出版差し止め プライバシー独り歩き 東京新聞

 「週刊文春」の出版差し止めを容認した東京地裁の決定は、プライバシーという言葉の独り歩きを助長する恐れがある。何が法的に保護されるべきか、詰めた議論をしないと言論が窒息する。

 問題の記事は決して高くは評価できない。書かれた田中真紀子元外相の長女の不快感も理解できる。文春側は胸を張ってほしくない。

 では、ほめられるような記事、歓迎される表現でなければ許されないのだろうか。そうではあるまい。

 社会には多様な価値観があり、おまけに流動的である。表現・報道は一義的には評価できない。幅広い表現を受け入れないと、社会の変化や発展の芽を摘み取ってしまう。多くの人の目に触れさせ、耳に入れて判断してもらうのが原則だ。

 だからこそ、最高裁は差し止め許容を回復困難な被害が予想されるなど例外的事例に絞った。

 東京地裁は「プライバシーは侵害されると回復困難」としたが、問題は記事による事実の暴露が回復困難な被害かどうかだ。

 決定は、保護されるべきプライバシーについて「当事者が他人に知られたくないと感じている事項」とする主観説ではなく、「一般人を基準にして、他人に知られたくないと感じるのがもっともな事項」という客観説の立場をとった。

 ところが事実に当てはめる段階ではもっともな理由を十分説明せず、むしろ問題の記事が重大な損害を生じさせるとまでは断定できないことを認めている。実質的には主観説にそった判断といえる。

 書く側が書かれる側の気持ちに配慮し、人格権を尊重すべきなのはいうまでもない。しかし、主観説のプライバシー保護論は、人が自己に関する事実を秘匿し仮面で生活する権利を尊重する一方、その仮面のために社会の人々が受ける影響を無視、ないしは軽視する側面がある。

 その危険性を意識せず、司法判断の流れは主観説に傾いているのが現状だ。個人情報保護法も個人情報とプライバシーを区別していない。

 政治家などもプライバシーを口実に不利な報道を阻み、疑惑が浮かんでも説明拒否が多くなった。プライバシーという言葉が思考停止を招きがちでもある。

 個人に関する情報の何が法的に保護されるべきか。裁判官や弁護士などの高みからの議論ではなく、情報の受け手でもある市民の徹底的議論が必要だ。その場合に大事なのは、どのような表現なら許されるかではなく、どんな表現に限っては許されないか、という視点である。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20040321/col_____sha_____003.shtml