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2004年02月28日(土) 01時22分

2月28日付・読売社説読売新聞

 [“教祖”死刑判決]「惨劇の教訓は生かされていない」

 「死刑」という宣告すらも、むなしく響く。

 オウム真理教の“教祖”麻原彰晃こと松本智津夫被告に対し、東京地裁は、一連のオウム事件の首謀者と断じ、死刑を言い渡した。当然の帰結というべきである。

 それにしても、余りに長い裁判だった。初公判から七年十か月、公判回数も二百五十七回を数えた。

 社会を震撼(しんかん)させた、恐るべき事件だった。地下鉄、松本両サリン事件、坂本堤弁護士一家殺害事件など一連のオウム事件では、二十七人が命を奪われ、負傷者は五千人を超えた。

 被害者の苦しみの日々と、遺族の無念の思いは消えない。

 判決は、十三の事件で殺人罪などに問われた松本被告について、「神仏にも等しい絶対的な存在」として自分で空想を膨らませた人物、と見た。無慈悲、残酷極まりない犯行は、「極限ともいうべき非難に値する」と断罪した。

 さらに、動機について、「宗教団体の装いを隠れ蓑(みの)」に、日本国を支配する王になろうという「あさましく愚かしい限り」のものだった、と断定した。

 ◆弁護団に長期化の責任◆

 裁判が長期化した責任の大半は、国選弁護団にある。迅速な審理に不可欠の争点整理には応じなかった。

 検察側は、サリン事件の多数の被害者について被害状況を立証する予定だったが、時間を要するため、大幅にその人数を減らした。

 さらに、薬物密造関連の四事件の起訴を取り下げるなど、異例の措置をとり審理のスピードアップを図ろうとした。

 だが、弁護団は証人尋問では、重箱の隅をつつくような枝葉末節の尋問を繰り返し、検察側の五倍の約千時間をかけて、引き延ばしを図った。

 被告の防御権は憲法上の重要な権利である。しかし、この事件の弁護団の場合は、裁判引き延ばしの「弁護のための弁護」に近いものだった。

 これを阻止できなかった裁判所の訴訟指揮にも問題があった。

 オウム事件は弁護士がいなければ開廷できない「必要的弁護事件」だった。

 裁判所が、強力な訴訟指揮をとろうとすると弁護士が辞任し、法廷が空転することを恐れたためだと見られている。

 現在進められている司法改革では、審理を迅速化するため、裁判所の訴訟指揮権を強化する刑事訴訟法の改正が行われる予定だ。

 だが、改正されても、弁護側が“意図的”に防御権を行使した場合、制止することは困難だ。

 弁護団が、肝心の松本被告との信頼関係を築けなかった責任も大きい。松本被告は、公判の大半を通じて沈黙したままで、意思の疎通も出来なかった。

 こうした中で、時はいたずらに流れ、オウム事件の全体像は遠のいていったといえる。

 ◆適用しなかった破防法◆

 悲惨なオウム事件の教訓は、現在の社会に十分生かされているとは、とても言えない。

 約千六百五十人の信者の活動が、十七都道府県、二十六施設の拠点で続いている。住民とのトラブルも絶えない。

 公安調査庁によると、一連の事件で逮捕・起訴され、服役を終了した信者など約四百人のうち、すでに百人以上が教団に戻っている。

 インターネットの出会い系サイトを活用し、教団の名前を隠しながら、新たな信者の取り込みも図っている。

 松本被告の影響力を薄めようという教団内の“改革”は、頓挫し、逆に松本被告に絶対帰依する体質が明確になっている、という。

 さらに、教団側は、日本を離れて、ロシアの支部に信者を常駐させ、布教活動の拡大も図っているようだ。

 こうした教団の存在や活動は結局一九九七年に、破壊活動防止法に基づいて、教団の解散ができなかったことから生じている。

 公安審査委員会は、公安調査庁からの破防法による教団の解散請求について、一年の審議の末、「将来の危険は薄い」として棄却した。

 信教や集会・結社の自由は憲法上の重要な権利である。

 だが、これだけ明白な組織犯罪集団について、一般市民を守るという社会防衛の視点が、まったく欠けていた。

 国際テロが頻発する時代を迎えながら新たな組織的な反社会集団に対する法の整備は進んでいない。

 ◆治安再生の礎石にせよ◆

 野放し状態にある極左の過激派と、国際テロ組織「アル・カーイダ」が結びつくと、どうなるのか。

 破防法の適用が見送られた後、オウム真理教の活動を規制する団体規制法が施行されたが、解散は出来ない。判決を、不測の事態を想定した法の整備を検討する契機とすべきではないか。

 オウム事件について判決は、「わが国や諸外国の人々を、極度の恐怖に陥れたもの」だとし、「これまで我々が知ることのなかった誠に凶悪かつ重大な一連の犯罪である」と総括した。

 オウム事件とはまさに、日本の治安の「安全神話」を突き崩したものにほかならない。この悲劇を、治安再生の礎石にしなければならない。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040227ig90.htm