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2004年02月27日(金) 07時24分

オウム、傷跡残る二つの村 消えた痕跡、消えぬ記憶朝日新聞

 オウム真理教の拠点があった山梨県上九一色村と熊本県波野村にはいま、その痕跡を示すものはほとんどない。だが施設が撤去された跡地の利用のめどは立たず、村民は当時の恐怖を忘れない。27日の教団元代表・松本智津夫被告(48)の判決を前に二つの村を歩いた。

○土地利用決まらず

 富士山麓(さんろく)にある上九一色村に最後まで残った第7サティアンは、98年に取り壊された。バルブや塩ビ管が落ちていた。ここに「サリン工場」が立っていた。

 点在していた施設の跡地は、すべて村有地となり、一部は公園になっている。公園の隅に高さ約1メートルの「慰霊碑」がある。98年3月に建てられた。村は更地にした約3.8ヘクタールの利用方法を考えたが、まだ決まっていない。

 岡本法恵さん(75)の自宅前には、自動小銃の密造工場だった第9、11サティアンがあった。「教団がここで犯罪を起こしたことを伝えるために、ひと棟残してもよかった。村として教団関連の資料を整理すべきだ」と話す。

 教団が撤退した翌年の97年7月、テーマパーク「富士ガリバー王国」が開業した。「オウムの村」として損なわれたイメージ回復に期待がかかった。だが01年10月に閉園した。人口も徐々に減り、1700人を切った村は財政も厳しく、合併問題で揺れる。周辺町村との調整はまとまらず、甲府市と「飛び地合併」する案も出ている。

○5千万円かけ更地に

 九州・阿蘇山外輪の波野村。教団が山肌を切り開いて造成した約15ヘクタールの土地は、その後村が約5千万円かけて更地にした。赤さびた鉄の門扉だけが残っていた。

 村は信徒の住民票不受理をめぐる裁判で、9億2千万円を支払う代わりに教団が撤退するという内容の和解を94年8月にした。村の年間予算の約半分だった。農家への奨励金や道路整備費用を削って捻出(ねんしゅつ)した。

 教団は96年8月に村を出た。翌年の選挙で当選した市原新・村長(57)は住民票の問題で教団ともめていた当時、住民課長だった。村は、和解するまで受け入れを拒み続けた。「法に照らせば拒否できないことは明らかだったが、村が乗っ取られる危機感が強かった」と振り返る。

 「村民は精神的な被害を受け、恐怖感を味わった。松本被告に謝罪してほしかった」と話す。村は来年2月、周辺2町と合併して阿蘇市になる。(02/27 07:24)

http://www.asahi.com/national/update/0227/008.html