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2004年01月11日(日) 00時00分

週のはじめに考える 目指すは『民ノ司直』 東京新聞

 個人の権利が守られてこそ国家は発展します。近代社会の統治は「人民を治める」のではなく「人民が治める」のです。それを支えるのが国民のための司法です。

 最終期限が今年十一月に迫った司法制度改革を見ていると、初代司法卿、江藤新平の見識があらためて浮かび上がってきます。日本近代の夜明け、明治維新の直後に司法制度の構築に着手した彼は、早くも、司法の独立、裁判実務と司法行政の分離を主張しました。

 一八七二(明治五)年、司法卿に就任して直ちに発表した「司法省誓約五箇条」の冒頭は「民ノ司直タルベキ事」です。

 ■司法改革と共通する哲学

 以下、「律法ヲ順守シ、人民ノ権利ヲ保護スベキ事」「裁判ハ必竟民ノ詞訟ヲ未然ニ防ギ、日々ニ治安ノ実効ヲ奏スベキ事」と続きます。

 江藤によれば、司法省は「官ノ司直」ではなく「民ノ司直」でなければならず、「人民ノ権利」を守ることが職責でした。裁判の最終目標は人民が訴訟を起こさなくてもすむ安全な社会づくりに置かれました。あの時代に裁判を新聞記者に公開した先見性にも驚きます。

 江藤は、外交政策をめぐる閣内対立、さらに佐賀の乱に巻き込まれ刑死して志を果たせませんでしたが「誓約五箇条」はいまも新鮮です。

 基本哲学は司法改革のバイブルと言うべき司法制度改革審議会の意見書とほぼ共通します。「民ノ司直」は「国民の期待に応える司法」であり、「律法ヲ順守シ」は「法の支配の確立」でしょう。「民ノ詞訟ヲ未然ニ防」ぐ役割を、意見書では「国民の社会生活上の医師」としての法律家に求めています。

 江藤が直面した“抵抗勢力”の存在も現在と似通っています。司法権を中央に集中させようとする江藤の前には、統一法典もないまま勝手に司法権を行使していた府県の地方官が立ちはだかりました。

 ■取り調べの可視化が課題

 現在の裁判員制度づくりでは、司法官僚や、彼らと意を通じた学者などの法律専門家が、裁判を担う市民は少ない、形だけの国民参加制度にしようとしています。そこでは「素人の判断はあやうい」「現行制度を大きく変える積極的理由はない」などと語られており、「民の影響力」を排除し「官ノ司直」を守り抜こうとしているように見えます。

 裁判の迅速化を唱えた江藤は冤罪(えんざい)の防止も同じように重視しました。昨年、すべての裁判の一審を原則として二年以内で終わらせる裁判迅速化法が成立しましたが、早くて適正な裁判を実現するには証拠法制を整備する必要があります。

 特に、ほとんど自白事件である刑事裁判では、取り調べの可視化、透明化が大きな課題です。容疑者と捜査官しかいない密室で作られた調書をめぐって「自白の強制、誘導」の有無に関する被告側と検察側の水掛け論で裁判が長引くからです。裁判で取り調べ状況を検証できるよう録音、録画が行われれば誤判の防止に役立つはずです。

 法律家不足も江藤の改革が難航した一因ですが、今度の改革では質の高い法律家を数多く育てるための法科大学院、通称ロースクールが四月に六十八校もできます。二〇一〇年ごろからは毎年三千人の法律実務家が誕生する見込みです。

 ただ、「民ノ司直」を目指すロースクールはあまり見あたりません。カリキュラムに知的財産権法、契約法など企業活動の役に立ちそうな課目ばかりが目立ち、社会、経済的弱者の味方を育てようとの意気込みが感じられる法科大学院は少ないのです。

 国際人権法やジェンダー法などを重視したところは不認可でした。司法試験予備校との提携を狙い撃ちされたといわれています。

 明確な教育理念を持たないで「バスに乗り遅れるな」とばかりにロースクールを創設した大学人たちに、再考を強く求めます。

 現役弁護士による隠れたベストセラー小説「司法占領」が描く近未来も気掛かりです。法科大学院の学費や生活費のためローンを背負った若い弁護士たちが、カネになる企業法務ばかりに目を向けたり悪徳弁護士になったりして、人権擁護活動が衰退するという筋書きです。

 物語を杞憂(きゆう)に終わらせるには、学費抑制のための大学院への補助、低利、または無償還の奨学金など財政手当てが重要です。

 政府が検討中の司法修習生給与の貸与制への転換は疑問です。金持ちしか、あるいは多額の借金を覚悟しないと弁護士になれないような社会では「人民ノ権利」は守られないでしょう。

 ■統治の主役になるために

 江藤新平は、個人の権利、自由を守ることが国家発展の基礎になると見通していました。そのためには、経済活動円滑化のための司法だけでなく、弱者を守る砦(とりで)としての司法も充実しなければなりません。

 国民が統治の主役になるという司法改革の理念を考えれば、砦の建設費を惜しんではいられません。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20040111/col_____sha_____001.shtml